智衆さんがいた ~ 熊本・玉名にて
ここを訪ねたのは昨年の11月5日のことだ。訪熊中ぽっかり空いた時間、思い付いたのが「笠智衆さんの生家が見たい」だった
熊本城の近く、花畑交通センターから路線バスで数十分、グーグルマップを片手に「たぶんこの辺……」のバス停で降りる。目指すお寺は丘の上。川沿いをテクテク
案内板が見えてくる
坂を登ると
ここ!
映画看板のレプリカが並ぶ
来照寺、智衆さんはここで生まれた!
因みに来照寺は なむあみだぶつの本願寺派(西本願寺)、いわゆる「お西さん」。私の家の宗派は大谷派で「お東さん」。柴又帝釈天は なむみょうほうれんげきょうの日蓮宗
お寺の手前に「Actοr Chishu Ryu」のモニュメント
すぐ隣に立花神社
そこから見える風景
自叙伝によれば、幼少期、智衆さんはここでハレー彗星を見た
そこから細い石段、歩道が続いている
智衆さんは少年期……例えば着物に学生帽で……ここを駆け下りたことだろう
何匹も見かけたトラ縞の大きな蜘蛛。竹竿でいたずらとか、していたかもしれない
そして柿の木
遥か彼方に金峰山
本堂下のベンチに腰掛け、のんびりとお茶を飲んだ
かつて、ここに智衆さんが居た……
寡黙で正直、「男は泣かないもの」と信じきっていた明治生まれの日本男児
ひょっとすると、現実の智衆さんは私のように怠け者だったかもしれない。私のように嘘つきだったかもしれない。私のように意地きたなかったかもしれない
でも智衆さんは人生を通じて『笠智衆』を演じきった
そして、智衆さんは人間が斯うありたいと願う理想型のーつ、日本人の原風景(ふるさと)となったのである
以下は智衆さんの出演映画を書いた過去ブログ、少しアレンジして再録します
◇◇◇◇◇
『邦画のふるさと ~ カルメン故郷に帰る
2016-02-04 』
昨年、CS放送で久しぶりに『カルメン故郷に帰る』を観た
1951年、国産初の総天然色(カラー)映画
私の母は娘時代に地元の公民館で観たらしい
人気絶頂の高峰秀子さんが、頭の弱い「自称、舞踏芸術家≒ストリッパー」となって里帰りをする
トップスターのセミヌード、しかも総天然色、世間は驚いたろうな~
「デコちゃん!なにやってんだよぉ~!?」
純情ファンの悲鳴が聞こえるようだ
さて、私がこの記事のタイトルを「邦画のふるさと」とした理由
それはこの映画にみっちりと込められた、日本人の情感――
カルメンが帰る日
父親は娘の姿を見たくないと牧場の仕事に出てしまう――ホントは会いたくて堪らない。でも派手に着飾り、変わり果てた娘を見るのがつらいのだ
おきん(芸名カルメン)と朱美(同行してきたストリッパー仲間)は北軽井沢の駅から馬車で牧場に到着する
まあ、素敵な景色!とばかりに草原に駆け上がり、舞台仕込みのキテレツなダンスを踊り出す――総天然色、空の青・白い雲、そして草原が絵画のように美しい
やがて緑の稜線に、孫(カルメンの甥)に手を引かれ、しぶしぶと連れ戻された父親の姿
「お父ちゃーん!」元気に手を振るカルメン
父親は……ペコリと、お辞儀する?
カルメンはもどかしげにハイヒールを脱ぎ、それを両手に振り回して高原を――父に向かって走り出す
カメラは遠景で――牧歌的な空と草原
「お父ちゃん、久し振りっ!」息を弾ませるカルメンに、父親は「ああ…ああ……」とモジモジするばかり
そして再び遠景――
肩を抱き、寄り添いながら丘を降りてくるカルメンと父
カルメンの相方、マヤ朱美役は小林トシ子さん
「この人はダンサーなの?」一緒に観ていた妻が言うので「違うよ!」と言下に否定したのだが、調べてみると元・日劇ダンシングチームの人だった
私の記憶にあったのは同じく木下監督の『破れ太鼓』――トシ子さんは深窓の令嬢を淑やかに演じていた――そのキャラの変わりっぷり!女優って凄いや
一方、キャラが変わらないといえば笠智衆さん
小学校の校長先生、どんなキャラかといえば――笠智衆さんのようなキャラである(笑)
カルメンをおだてて、村でストリップの興行を企む丸十(村の有力者にして勘定高い商売人)
カルメンの父が談判に詰め寄る、掴み合いになりかけた時、校長が割って入り、丸十を投げ飛ばす
転がる丸十の前で、校長は己の胸を叩き、拳を高々と突き上げる
わしを見ろ!わしは今、暴力を振るった
だが、自分の行為に一点の後悔もせん
浅間山が分かってくれる
浅間山を阿蘇の山と置き換えれば、そのまま熊本男児、智衆さんの生き様となる
さて、このドタバタ騒動の中
戦争で盲目となった元教師とその妻
妻はたった一つ残った財産の馬を使い、荷馬車を牽いて細々と生計を立てている
夫はアマチュア音楽家、オルガンを弾いて故郷を歌った曲を作るのが唯一の慰め
でも、虎の子のオルガンは借金の形に丸十に取り上げられ、幼子に手を引かれて小学校までオルガンを弾きに行く
その帰り道、迎えに来た妻と荷馬車に乗っている。幼子はスヤスヤと寝入っている
穏やかに流れる時間、ふたりの何気ない世間話――ここでは、柔らかな触手をからめ合うような、夫婦の交情が描かれる
現役独身の小学校教師は佐田啓二さん(中井貴一さんのお父さんだよ)
田舎で退屈してきた朱美に色目を使われる
「何を話してたんだい?」笑顔で尋ねる同僚に
「話してたんじゃないよ!脅されてたんだ!」
ストリップ興行当夜、カルメンの父親は家に居たくないと校長の家に来る。校長は二人の先生も家に誘う
かくて、ストリップの喧騒シーンと交互に描かれるのは、泣きじゃくる父と寡黙な校長、その向かいに座らされた二人の教師
このシーンをビデオで一緒に観ていた私の父は言った
「若先生、可哀想に……ストリップ見たかったろうなあ」
話は少し戻って
カルメンが村で裸踊りをすると聞きつけ、校長は止めるべく牧場を訪れる
校長からこれを聞いて腰を抜かさんばかりの父親は、よろよろ後ろを付いていく
踊りのリハーサルをしているのだろう、丘の向こうからカルメンと朱美の嬌声が聞こえてくる
そして一本の老木の下に辿り着いた時、父は校長に縋りついて止める
カルメンことおきんは幼い頃、この老木の下で牛に蹴られて泡を吹いた。それ以来、おきんの頭のネジは緩んでしまったのだ
父は言う
「あいつが踊りたいというのなら、踊らせてやってくだせえ
この木の下で牛に蹴られたのが身の不運……
あいつが笑い者になるというのなら、わしも一緒に笑われますだ」
ラスト、興行で大儲けをした丸十は上機嫌。だが、カルメンの父親に罵られた言葉が胸に残っている
馬車を牽いてきた音楽家の妻に言う
「オルガンを持って行け、盲人のたったーつの楽しみを取り上げられるか!いいか(周りに聞こえるように)タダで返すんだぞ!」
東京行の汽車が走る――後部の無蓋車でカルメンと朱美は優雅に腰掛け、田舎に名残を惜しんでいる
男たちが次々と線路沿いに駆け寄り、ふたりを見送る
「いい村だったわねぇ」カルメン達は上機嫌
「あいつら馬鹿ヤロウだぜ」村人達は一様に嘲りの笑いを浮かべている
汽車は軽快な音を刻んで去っていく
――終り
カルメン騒動は一陣の風、村人達はやがて忘れるだろう
人の噂も七十五日、父親の屈辱も薄まっていく、しかし娘を想う情は終生続くのだろう
若先生は素朴でおまんじゅうのような娘と慎ましい所帯を持つのだろう
盲目の音楽家とその妻は、貧しさを禍福として、欲のない小さな生涯を送るのだろう
カルメンの帰郷は一時の夢
でも、その喧騒は盲目の音楽家にオルガンをもたらした――
それ故に、カルメンの人生は豊かな彩りを得たのである
可笑くて哀しくて、もうどうしようもない気持ち――坂口安吾はそれを『文学のふるさと』と呼んだ
だから私はこの映画を『邦画のふるさと』と名付けてみた
可笑しくて哀しくて情感が身に沁みて……
それでいながらエロティックさにも眼が引かれてしまう
男って情けない……
ああ、ホント、ど一しよーもない
それが人間のふるさと