空はどこから

地味に日記を書いていきます

緑の丘の赤い屋根 ~ 江剌の風景


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鹿踊りを待つ間、蕎麦でも食べようとグーグルマップを覗いたら『とんがり帽子の歌碑』という文字が目に入った。これって「緑の丘の赤い屋根~♪」のこと? 岩手と関係あるの?

蔵の白壁通りを歩いて
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人首(ひとかベ)川を渡る
f:id:faimil:20170825074858j:image人首はアテルイの弟の名前らしい。この辺りは蝦夷(えみし)と大和朝延との激戦地なのだ。勝者・坂上田村麻呂の名は歴史の教科書にも載っているが、敗者・蝦夷の長 アテルイの名はほとんど知られていない。私は岩手に来て初めてその名を知った。それが敗者の歴史、地元に僅かな名残を残すのみーー

橋の向こうに見えてきた
f:id:faimil:20170824230545j:image緑に包まれた赤い屋根

そして『とんがり帽子』の歌碑f:id:faimil:20170824230755j:image

この建物、元は明治初期に献金と寄付金で5年がかりで建築された近代病院
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その後、資金難で病院は閉鎖、建物の用途は転々として、今は明治博物館となっている
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 劇作家 菊田ー夫は戦時中、この地に疎開し、川向こうの旅館からトンガリ帽子を眺め、ドラマの着想を得た 

入ってみた。『鐘の鳴る丘』の展示物
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二階へ
f:id:faimil:20170825081710j:imageさすが明治の木造建築、大径の通し柱がふんだんに。時代が付いて風合いも良い。木造建築は本来、千年の寿命も持ちうるのである

そして最上階、塔の中
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窓からの眺め
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菊田ー夫は川向こうからこの塔を眺めていた、だからこれは逆方向の視線

 

因みに、岩手にはもう一つ「え?そうなの?」と思わせるスポットがある

遠野から海に抜けて釜石、少し北上して石鎚町。カーナビにこんな文字が
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ひょっこりひょうたん島~♪
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正式名称は蓬莱島。防波堤で繋がれていて、それが遠目には島が進む軌跡のように見える
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近づくと、島は小さな岩礁で、先端に赤い灯台、後方に水神さま(?)のお宮があるーーー但しこれは震災前の写真である
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ひょうたん島のモデルには諸説あるが、私は断然ここを推す。何故ならここは
f:id:faimil:20170826114429j:image吉里吉里人』の里でもあるのだ。井上ひさしが何らかの感慨を持って蓬莱島を眺めていたことは間違いない 

 

以下は2013年のブログの再録です

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鐘の鳴る丘/チンピラ別働隊(2013-05-06 )
♪緑の丘の赤い屋根
 トンガリ帽子の時計台
 鐘が鳴りますキンコンカン♪
 …
♪鳴る鳴る鐘は父、母の
 元気でいろよと言う声よ
 口笛吹いて、おいらは元気♪
 …
♪お休みなさい空の星
 お休みなさい仲間たち
 鐘が鳴りますキンコンカン
 昨日にまさる今日よりも
 明日はもっと幸せに
 みんな仲良くお休みなさい♪ 

昭和22年から放送されたNHKラジオ番組『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」

もちろん、私はまだ生まれていない。 

映画も3部、制作された。
高校生の頃、TVで観た。 

戦災孤児たちのために、安住の地を見つけようと奮闘する青年の物語。

親を失い、悲惨な境遇に喘ぐ浮浪児たちが
「いい子になるんだ!」
と頑張る姿が痛々しい。

でも、「いい子」って……何だ!?

私の時代では、いい子とは、
大人にとって「都合のいい子」。
教育と称して「規格品」の子供を作ろうとする時代だった。
全国の中学校でバカバカしいほど、ガンジガラメの校則が作られ、社会問題として取り上げられていた。

当時見たドキュメンタリー。
不良少年たちの母親が学校に呼び出される。
親たちは教師にペコペコと頭を下げる。
それを見て、不良少年たちは泣いて怒る。
「悪いのは俺たちで、親じゃない!親を謝らせるな!」
親子の情愛がしっかり残っている時代だった。
『鐘の鳴る丘』の子どもたちにとって、「いい子」とは、かっぱらいなどの犯罪を犯さない子。

戦後のドサクサ。社会に余裕のない時代。
保護者のいない戦災孤児は日陰の存在。
犯罪に手を染めないで生きていくこと自体、困難な時代だった。
《余談だが、映画のラストシーン。
クリスマスに子どもたちが和解する。
「クリスマスおめでとうございます」と言ってお互いに頭を下げていた。
まだ「メリークリスマス」が日本に定着していなかったんだね。》


さて、このラジオ番組を熱心に聴いていた青年がいた。
この主人公に続こうと、子どもたちと夢の実現に奮闘する。

この青年は、ラジオの内容が実話だと信じ込んでいた。

主人公に教えを乞おうとNHKを訪ね、フィクションであることを知って落胆する。

だがドラマの作者、菊田一夫に励まされ、ついに夢を叶え、群馬県に施設を立てた。
虚構が現実をリードしたのである。
ドキュメンタリーで、その施設が映し出された。
食堂に並んだ子どもたちが、みんなで「鐘の鳴る丘」の主題歌を歌っていた。

これはいただけない、と思った。
この歌は、自ら口ずさむべき歌であって、歌わされるべきではない。


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戦後、子どもたちの夢を掻き立てた小説、『少年探偵団シリーズ』

ある人がエッセイに書いていた──

少年探偵団に憧れ、自分も入団したいと夢見ていた。
だが、「チンピラ別働隊」の存在を知って愕然とした。

少年探偵団は良家の子弟の集まり。
夜の活動や危険な仕事は、浮浪児(戦災孤児)を組織した「チンピラ別働隊」が請け負う。

自分のような親のない子は少年探偵団には入れてもらえないのだ──


実際、少年探偵団(富裕層の子)は訓練と称して肝試し大会なんかをやっている。

浮浪児たちは小林少年から「君たちもマジメに生きなきゃダメだ」などと説教されて別働隊になる。

学生の頃、チンピラ別働隊が颯爽と活躍するシーンがないかと数冊読んでみたが、やはり日陰者的な扱いであった。

 

この時代、そんな小説…不遇な少年たちが差別される話…が違和感なく受け入れられていた。

何という、弱者に対して同情心のない世相だったのか。

 

今の日本なら、こんな差別は当然非難される。

しかし、今度は世の中が複雑に成り過ぎた。
正義のあり方を取り違えて、逆差別や悪平等が起きたりしている。

だが、社会が差別に対して敏感になり、話し合う環境さえあれば、世の中が良くなる可能性は充分にあるはずだ………

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旅先では「え?あれがここに!?」という「見つけもの」をすることがある。そんな時は記憶の引き出しがコツンと開く。今回はそんな話でした