江津湖から益城町へ~震災のかさぶた
とにかくもう、花童が観たくて観たくて、計画した九州旅行。22日は始発電車で羽田へ向かい、福岡空港からレンタカーで佐賀県へ――妻の積年の望みだった有田焼の本場を見るためだ。その夜の内に熊本市内へ……九州を少しばかり甘くみていた。遠かった(汗)
翌日、10時過ぎにホテルを出発。花童が出演する益城町でのイベントは14時から。その間、何の目的もない。
ルートの途中に江津湖があるので寄ってみた
ついでに、江津湖音頭も踊ってみた
ここは市民の憩いの公園になっていて――
スワンボートならぬ、くまモンボート
とにかく、水がきれいだった。上流から流れ込む他に、湖底からの湧き水も多いらしい。都会に近い公園で、水がこれ程澄んでいる場所は他に知らない
野鳥の楽園。野鳥観察の会が活動していた
この鳥(名前は)何ですか?とその内の一人に尋ねると
大きなのがアオサギ、小さいのがコサギですよ。ほら、足先が黄色いでしょ、それがシラサギとの違いです――説明しながら、幸せそうな笑顔w
ああ、天下太平である……寒かったけど
そして――これに気づく
盛り上がった遊歩道、芝生の亀裂
歪んだ堤、立ち入り禁止のテープ
ああ、震災があったんだ……
震災直後、銀座のくまもと館には行った。でも、私の日常に震災の影はない
益城町へと向かう、沿線に目立って更地が増えてくる
あ!ましきまち……ニュースで何度も耳にした激震地じゃないか
目的地に近づくにつれ、車窓の景色に違和感がつのる。街並みがどことなく、歪んでいるのである
折れた家屋
傾いた祠
崩れ落ちた壁、竹の骨材が露になっている
次々と現れる更地。地表に出来たかさぶたのようだ
見上げると、クレーンの鉄柱が斜めに何本もニョキリと立っていた
目的地、益城町文化会館。早く着いたので裏手に廻ってみた
ホールの裏手階段も崩れている
このホールで開催されたイベント『天皇誕生日奉祝式典 被災地ご訪問感謝の集い』
受付で記名しているとテレビ局のレポーターに声を掛けられた
「どちらからおいでですか?」「このような慶賀の式典に興味はおありですか?」
「いえ、私は花童を観に来ただけで……他には何も(考えてなかったです)」
レポーターはそのままお辞儀して去っていった
天皇誕生日と震災復興を兼ねたイベント。舞台上に居並ぶ来賓各位、そして祝辞
その中で、地元益城町の女性が舞台袖から現われ、スピーチの壇上に立った
――震災後、先行きに希望のない避難所生活を送る中、天皇陛下が慰問に来られると聞いた……当日、空を見上げていると、やがて小さな点が現れた。天皇陛下が乗ったヘリコプターだ。その点が次第に大きくなってくる。それを見たとき……ああ、私はもう大丈夫だ、と思った――
災害とは、限られた一部の人にのみもたらされる。被災した人はたまたま運が悪かった人、「災難」の人である。熊本県内だけで見ても、被災者の人口比は僅かだろう。遠く離れた地に住んでいれば現実味は薄い
災難に遭った一部の不運な人々に対し、社会がどれだけ同情の想いを寄せているか――それがコミュニティとしての豊かさ、民度の高さのバロメーターである
天皇は国民の幸せを真摯に祈り続けている人である――不運な人に思いを寄せ、助け合える社会を理想とするのであれば、天皇の姿は、まさに豊かであるべき日本の「象徴」である
これは町内の飲食店に貼ってある標語
こんな標語があること自体、この地に来なければ分からない
地表に散在する空地、これを「震災のかさぶた」と名付けてみた――「かさぶた」とは、やがて肉が盛り上がり、回復していく傷のことである
そして、式典の第二部・奉納演芸では、私達夫婦をここまで導いてきたもの――花童登場!となるのだが、それは次のブログにて
初見!花童 ~ 漱石と娘おどり
YouTubeで盆踊り動画を漁っていたら、不思議な画像(サムネイル)が出てきた
「日本の伝統を受け継ぐ少女達」
「日本人形が踊っている」
それをクリックして――ファイミルの花童時代が始まった
見つけたのは10月、一日平均3時間として……延べ100時間はYouTubeの花童を観ていることになる
今月、やっと熊本に行く段取りがついた。ついに本物の花童に会える
そうこうしている中、妻がネットで見つけた
あれ?あかねちゃんとゆりあちゃんが東京に来るよ
舞台『アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月』
漱石は教師として二度地方に赴任した。最初の地、松山は後に『坊っちゃん』の舞台となる。そして次の熊本を経てイギリスに留学する
『三四郎』は熊本出身、熊本から上京する列車のシーンで物語は始まる。漱石が熊本を憎からず(?)思っていたことはここからも伺える。
そして漱石の新婚生活はここで始まり、門下生の白眉、寒月君こと寺田寅彦と出会ったのもこの地である
その漱石の熊本時代を題材としたのがこの舞台。震災復興イベントとして熊本と東京で上演された
その劇中、花童の年長さん、あかねちゃんとゆりあちゃんが娘おどりを披露する
上演中、今か今かと登場を待ちわびる。そして暗転、踊りのシーン……
色違いの着物を清楚に着こなしたあかねちゃん・ゆりあちゃんが現れる
うわあ~、と会場から声が洩れる……
とにかく、綺麗なのである。YouTubeの動画と実物は違う、それは想像していたけれど……ここまで違うとは思わなかった
とにかく……綺麗なのである
演目が『肥後の通り名』であることは後で知った。熊本所縁の曲をメドレーにした十数分の大作である。言うまでもなく『おてもやん』は入っている。キンキラキンのガネマサどんに東雲のストライキ……え?と思って調べたら、「何をくよくよ川端柳~♪」の東雲節(ストライキ節)は熊本由来の唄だった
その中で、さすがにこれは違う。「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船」――このメドレーに熊本とは無縁の『かっぽれ』が入っていた(なお、これについては明治期に熊本で流行った娘歌舞伎でかっぽれが演じられていた、ということを、後日花童ファンの先輩から伺った)
私は花童の踊るかっぽれが好きである。かっぽれは言わば男踊り、シナが少ない。その曲中、胸の前でくるくると手のひらを廻す振り付けが、女の子らしくて実に愛らしい
考えて見れば、この曲は蜜柑と木材で巨万の富を得た文左衛門が遊郭で金にあかせて豪遊した、という故事がベース、お座敷の戯れ唄、元は品の良いネタではない
ところが、花童のふたりがこれを踊る時、そこには得も言われぬ「清潔感」がある
可憐、繊細、軽やか、優美……どんな言葉で誉めても構わないけれど、私の頭に浮かんだ二文字は「清潔」だった。
この娘達が精進を重ね、身に付けた技量。そして少女ゆえに持ち得る清潔感。それが花童の真髄である
舞台は途中、15分の休憩が入る。「いや~綺麗だったね」「う~ん、YouTubeと違うね、生は凄いね」妻とふたり、出てくるのは感嘆符ばかり――と、隣の席のおばさんがアメをくれた
妻とそのおばさんの会話を聞いていると――なんとこの人、ゆりあちゃんの大叔母さんだった
大震災の直後、落ち着かない熊本を離れて、ゆりあちゃんはこの大叔母さんの家に居たらしい。それも私達と同じ千葉県
熊本中心で活動する花童、東京に来るとなれば、首都圏の身内が駆けつけるだろうな、とは思っていたけれど……まさか隣にいたとはね
何だか想像がつかないのである……家に帰ると、花童の娘が居て、食卓で普通にご飯を(煮込みハンバーグか何かを)食べている――それはどんな感じがするのだろう。何しろ私の知る花童は、まだYouTubeの中だけ、仮想現実のようなものなのだ
大叔母さんに、遠慮がちに聞いてみた「YouTubeでは、もうちょっとぽっちゃりして見えたけど、少し痩せたんでしょうか」
「中学生になって、ほっそりしたかしら……でもよく食べる子ですよ」
ああ、やっぱり……って、こらこら(汗)
終演後、出演者の見送りを受けて会場を後にする。花童の二人は主演の浜畑賢吉さんの隣に立っている。その姿はまるで、浜畑さんが可愛がる親戚のお嬢さんのようだった
「凄く綺麗だった、見惚れたよ」声を掛けると、はにかんだ笑顔を見せた。舞台を降りると、ホントに普通の娘さん。私もまた、自慢の姪っ子の舞台を見に来たような、満ち足りた気分になった
まだ自分で撮った写真がないので、これは絵はがきの画像。今週やっと熊本に乗り込む。私のブログにも華やかな写真が追加されることだろう
倦まずに精進を続けていれば、いつか神が降りて来る――例えば芸能の世界とは、そういうものなのではないか
この娘達の清々しい踊りを観ていると、そんな思いが胸に浮かんでくるのである
お東さんとお西さん
滅多にないのだけれど、京都で会合に出席した。一回目は8月だった。同僚の車で京都駅まで移動中「ここで停めて……オレの本山なんだ」そして一人で参拝した――そこは真宗大谷派、京風に言うと「お東さん」、つまり東本願寺
夏バテ真っ最中、でも本堂はうっすらと冷気(霊気)があり、時折吹き込む風が涼やかである
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ なんまん……
子どもの頃から見よう見まねで覚えたお念仏を唱える
そして今日、再び「ここで止めてよ」「ああ、本願寺ですね」
なんか、大きな旗が飾ってあるなあ、おまつりかしらん?
震災復興祈願の看板も前回と違う
イチョウのライトアップ、黄葉がきれい
イチョウの大木は滋養をたっぷりと蓄えている。生命力の象徴だ
本堂にはびっしりと椅子が並べられていた。なにかイベントでもあったのかな
最前列、椅子の前に正座して仏壇に手を合わせる。礼拝はやっぱり正座で行いたい、これからも膝が曲がる限り、私は正座する
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつなんまん……
頭蓋骨を風が通り抜け、鼻の奥がスカスカする、そのままずっと座っていたい
私と同じクチだろう、やっぱり正座でなきゃ、とおばさんが座る。なんまいだ~なんまいだ~と隣から声が聞こえる
立ち上がって振り替えると、ごつい白人が3人、カメラをぶら下げてもの珍しそうに立っている
Don't photo!と言ってやろうかと思ったけど、やめた。もし有り難みの分からない者であれば、何を言っても 無駄である……
山門を潜って駅へと向かう――いくらなんでも気がついた。
ここは本願寺派――お西さんじゃないか!
ファイミルの宗教心もこんなもの。西も東も分からない
お東さんへと向かう。もう夕刻5時は過ぎている
閉まった門前で、僅かばかりの南無阿弥陀仏
振り向くとスカイツリー
……ならぬ京都タワー
こんなことを思い出した。アニメ『茄子アンダルシアの夏』の続編『茄子スーツケースの渡り鳥』――舞台は日本、栃木県。イタリアの競輪選手達が縁あって日光のお寺を訪れる。廊下を伝い、障子の開いた本堂を横切る。金襴の仏壇を「ふーん?」と眺める
そこで和尚さんの活が入る
「異国の者でも、尊きものの価値は分かろう。手を合わせなさい」
20代後半、イギリスのウィンチェスター大聖堂を訪れたことがある。ジェーン・オースティンの足跡を訪ねたついでだ。何にも知らないで入って、カンパがわりでクリスマスキャロルのカセットテープを買った。売り子の金髪のお姉ちゃんが、アジアの異教徒ににっこり微笑んだ
伽藍の宏大な空間に立った時、涼やかな空気を感じ、鼻の奥がスカスカした
なにさまの おわしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる(西行)
神社仏閣(霊域)に惹かれる心情――この短歌ほど見事に表現した言葉を、私は知らない
盆踊りのおしまい
西新井大師で偶然見かけて始まった盆踊りブログ、いよいよ最終回
さすがに10月に入ると盆踊りの開催は少なく、どこにする?という選択肢はない
千代田区ふれあい秋まつり――盆踊りもやります、屋内だから雨天決行です――実際、土砂降りだった。やっとパーキングに駐めて――センターの駐車場が分からなかった――ずぶ濡れで区民センターに入ると
広いロビーにお年寄りがずらり、その奥まったスペースで
踊りの小さな輪、ズラリ座って横向いた、お年寄りの視線を浴びつつ……まあイベントの余興の一つというところか
それでもやっぱり「踊りたくて来た!」という人が何人かいた
イベントのスタッフジャンパーを着た女性が一人、とにかく踊りたくて持ち場を抜けてきた、という感じで輪に入ってきた。丸顔に満面の笑みが好ましかった
豊川悦司(似の男性)が幼い娘を連れて参加している。踊りが終わると直ぐにタクシーで去っていった。この親子、その後、他の会場でも見掛けることとなる――どんな人生模様の父娘なのだろう、とは余計なお世話
港区芝公園での盆踊り、これも大きなフェスティバルでの催しの一つ
この辺、駐車場は少ないし、あっても高い。ぶつくさ言いながらやっと駐めて、増上寺のイベントをぶらぶら。お寺の広間で特別公開、天井の日本画。ずらり数十枚並んだ作品の中には、えっ!というような著名な画家のものもあったらしい――えっ!と言ったのは妻、私は知らない――ぼんやり見惚れていたら、踊りの開始に遅れた
ここから会場の芝公園まで、凄く遠かった。この界隈、広すぎるんだよ
直前まで大雨、開始時刻には上がっていたけれど
地面はぬかるみ。申し訳程度にダンボールが敷いてあったけど、もうドロドロ、みんな水たまりをピョコピョコ避けながら踊る
それでも盆踊ラーは挫けない。着物の人は大変だったろうに、ホントに踊りたいんだね
いつもの盆踊らーの内、村田くん(村田雄浩さん似)――いつも着物の着こなしが決まっていて、腰に提げる小物なんかも粋である――この日は裾の端折り方が堂に入っていて「よ、イナセだね!」と言いたい感じ
途中、太鼓の演技、幟には『助六太鼓』
うーん、江戸前だねえ
そして、べったら祭り――平日だけどその年最後の盆踊り。東京中の盆踊らーが集まるらしい
職場から駆けつけた頃は、プロの歌い手さんで生歌踊り
車両を通行止めして路上で踊る。交差点まではみ出す程の盛況ぶり。とは言え、やっぱり平日、仕事あけはつらいよ。知らない曲も多いし、べったら音頭も覚えていない
街灯に凭れてぼんやりと踊りを眺める。お馴染みの盆踊らーがちらほら……と、無気力姉妹だ!穴八幡以来……なんだか懐かしい。そして揃いの黄色いハッピの中に、プラモさん発見!私の頭は無気力祭り(笑)
一方、ここを先途とばかりに踊り続ける妻。下手くそなりに、何やらコナレ感が出てきた。通ったもんなあ
盆踊りタイムも終わって夜店見物、ベったら漬けを試食して、あとは散策がてら、地下鉄駅まで歩く。燃料切れで途中、焼鳥屋に立ち寄る
祭りの喧騒から離れた場所、この界隈は閑散としていて、外人(アジア人)の女の子がポツンと店番をしていた。壁には古い邦画のポスターが貼られている。よくある「昭和ノスタルジィ」の演出だ。
ホッピーを飲みながら、つらつら眺める寅さんのポスター
「東京市」の情緒を求めて各地を巡った盆踊り。結果として――葛飾、墨田が良かったなあ、と思う。ああ、帝釈天で寅さん音頭を踊りたい……
東京は西から近代化したらしい。荷風さんは日本の情緒が失なわれていくのを嫌って、東へ東へと彷徨った。そして墨東綺譚を書いた。最後は江戸川を越えて千葉県の市川に居を構えた。
盆踊りをきっかけに、私は東京都の西と東を横断した。東京はなんと大きな「地域」の集合体なのだろうと思う。東西でずいぶんとキャラが違う。別の街なのだ
そして私はなんとなく、どこかアカ抜けない「墨東?」が好きである
お多福、獅子舞、盆踊り
自称、葛飾柴又の住民(実は県民)ファイミル夫妻、盆踊りを求めて遂に23区を飛び越えた――小平市、武蔵野神社の祭礼、しかも盆踊り(正確には「奉納踊り」)はお祭りの一部で一時間のみ
ホントにいくの?
一度行ってみないと分からないから……
それが10月初旬のことだ
そして鈴木囃子(ばやし)という無形文化財がある
いきなり目についたのは、山門の脇でお囃子に合わせて踊るお多福さん
参道は正に縁日状態。光の街が出来たよう
その一方で、本堂周りはうす暗い。まずはシャランシャランと参拝する。脇に大きな猿田彦の立像。猿田彦の像を見るのはたぶん初めて。フラッシュ焚いて写真撮ろうかと思ったけど、なんだかバチ当たりな気がしてやめた
猿田彦は天狗の元祖。私が初めて猿田彦を知ったのは手塚治虫の『火の鳥・黎明編』だった。当時中学生の私は「大河もの」を読んだ、という充実感を覚えたものだ
盆踊りをするはずの広い境内はコーンと紅白ポールで簡易なバリケードが作られパイプ椅子が並んでいる。ステージ上ではフラダンスなどのショーが披露されている。バリケードの周りには見馴れた盆おどらーがちらほら
オニッポリ君に姫香さん、若さんいとさん、小金治さんにブーツさん、町会さんに野球部くん……揃いの浴衣のおしどりさん(中年ご夫婦)もよく見掛けるなあ
まだ盆踊りまで1時間以上ある。どうやって時間をつぶそうか、と山門に戻ると
鈴木囃子の櫓には白狐が登壇している
ずばり、カッコいい!
周囲を見下ろし、人間どもを睨め付ける
時に櫓から身を乗り出して威嚇する
鳴り続けるお囃子、笛も鉦も太鼓もすっと次の者が現れて交代する。音曲は全く途切れない
狐の足元に、鬼瓦のような赤い顔が見える、すっと立ち上がると獅子舞だ。そして狐は幕の裏へと消えていく。異形のもの達の登壇も決して途切れることはない
……因みに、斜め前から見ていた私は、裏の休憩所に戻った白狐がそのカッコのまま、しゃがんで扇風機に当たっているのを見て笑ってしまった
さて獅子舞、噛まれると厄除けになる、というのは日本民族の常識。しばらくすると子供を抱っこしたお父さんが櫓下に近寄っていく。獅子さん、屈んで子供をパクン
そうなると、遠巻きに眺めていた子供達、わらわらと近寄ってくる
獅子さん、ご丁寧に子供達の伸ばした手を余さずパクンパクン……まるでゆるキャラ、一人ぐらい怖がって泣けよ、と思っていたら最後に抱っこされた幼児が盛大に泣き出して、なんだか嬉しかった(笑)
やがて獅子の後ろに現れたのは……これは可愛い!お多福姉妹。妹は小学校高学年くらいか、踊る姿も初々しい
――と、獅子舞で味をしめた子どもが櫓の下に寄ってきて手を伸ばした
えっ?どうしたらいいの?
小っちゃいお多ちゃん、まごついてもじもじ(汗)――お面の下の羞じらう表情まで見えるようで、それはもう愛らしかった(笑)
途切れることなく、いつ果てるとも知れず、繰り返される囃子と舞い、その光景を眺めていると、頭が茫然としてトランス状態に入っていく
なるほど、鈴木囃子――「神事」である
おっと、そろそろ時間だ。盆踊り――
広場は最後のステージが終わったところ。「会場の準備にしばらくお待ちください」とスタッフさん達がパイプ椅子を片付け始める。目の前で若さん・いとさんがバリケードを外している。いとさんは胸に何本もポールを抱えてステージ裏に運んでいった。あれ?ここが地元なのかな、と思ったけれど……要するに早く始めたくて、いそいそとお手伝いしているのであった(笑)
ステージに揃いの浴衣が並ぶ。地元JAの職員さんらしい。習い覚えた武蔵野音頭を踊り出す。これはかなり新しい曲で、振り付けがいかにもイマふう、ハートを作る萌えポーズみたいなものまである。レパートリーを増やす意欲のない私は見物、妻は一所懸命踊って、感想――なんか、リズム体操みたいだった
飛び入りさんはこれをどうぞ、と首にかけるピンクの布を配っている。これは「小平音頭」でくるくる回して使う
そして盆踊りの定番、東京音頭・大東京音頭・八木節・炭坑節――JAの姉さん達は武蔵野音頭しか練習していないらしく、炭坑節では私を手本にして後ろについてきた……ファイミル、初めてのお師匠さん(笑)
会場は大盛り上がりだが、延長してもらえる訳もなく、一時間はあっという間
「最後の一曲は恒例の――好きになった人!」
おおー、葛飾の町内会盆踊りの記憶が甦る。でもこの曲には2通りの振り付けがあるらしい。パートナーが次々とチェンジするバージョンと固定バージョン
この会場は固定バージョン、ファイミル夫妻も参加する。でも振り付けが覚えられないまま終わっちゃった。「来年もいらっしゃいね」と妻が隣のおばさんに話しかけられていた
振りを覚えられなかった原因は、余所見をしていたから――おしどりさんはもちろん夫婦で踊っている。ブーツさんは町会さんと組んでいる。オニさん・姫さんも楽しそう
そして、若さん・いとさん――手のひらを合わせて踊る姿は二輪の朝顔が触れあうように爽やかだった……
帰りの車中。「来年どうする?」
う~ん、もし来るとしたら――いっそ明るいうちに来る。そしてぼう~っと鈴木囃子を眺めてトランスに浸る、そのあと盆踊り……合わせて一本だな
もちろん、先ずは猿田彦の命にご挨拶してからね……
応援の楽しみ ~ アクアライン・マラソンのこと
私の足は、いつの間にか走ることに適さなくなったらしい
仕事柄、山林を歩くことはある。一日中歩いたりもするからスタミナはそれなりにある。でも平場を走ろうとすると、5キロで膝がパカンとなる。膝の筋がジンジンと痛みだし、足がアスファルトの舗装にめり込むように重くなる
妻はマラソン大会には出たがるのだが、こいつは10キロコースを笑顔で「歩き切る」ようなヤツだから、ハーフ以上はとても無理
ちばアクアライン・マラソン――千葉県木更津市で発着し、アクアラインを走って海ほたるで折り返す
海の上を走るなんて、気持ち良さそうだなあ、とは思う。でもコースはフルかハーフのみ。海の上だけ走る5キロコースなんてない(当たり前だ)
さて、札幌にいる妻の友人が今回このマラソン大会に出場することになった。これまで札幌の大会で何度もフルマラソンを完走している強者である。5キロでパカンの私とは身体の造りが違う
千葉県民のファイミル夫妻、当然応援に行く
木更津は過去に一度来たことがある
しょ、しょ、しょじょじ~♪の狸囃子で有名な証誠寺はここにある
でも、期待しないように――今は市街地の一角、狸囃子の聞こえそうな鄙びた風情はない
一万人以上が参加する大会で、友人の姿は見つけられるだろうか、と思ったけれど、文明の利器とは有りがたいものだ。スマホのGPS機能で現在地が分かるらしい
一ヶ所目、8キロ地点。給水所付近
ボランティアのおばさんがいっぱいいる。凄くいっぱいいる。こんなに動員が必要なのかな、と思ったけれど、選手が全て通過してからの後始末を見て納得する。とにかく凄いゴミの量だった
500mlのペットボトルなんて持ち込まなきゃいいのに、と思う。あっという間にゴミとなるボトルの山、勿体ない
給水なら、関東各地から自衛隊のタンク車が動員されている
震災以降、自衛隊の株は大いに上がった。武力を誇示するよりも、災害時に文字通り「国民を守ってくれる」自衛隊はヒーローである。旗がカッコ良くて、いっぱい撮ってしまった
私のお気に入りは天狗のマーク、アカギ飛行隊
こちらは般若、対戦車ヘリコプター隊
第103飛行隊に
群本部付隊
……話が逸れた
さて、妻とランナーの友人はGPSで位置を確認できるようスマホで設定していた。友人はコスチュームの写真をメールし、妻は目印にピンクのタオル(桜マラソンの記念品)を振るね、と伝えていた
もうすぐ、もうすぐ、とスマホに首っぴきの妻。ピンクのタオルを構えながらランナーに目を凝らす私――と!
ランナーの群れを離れて女性が駆け寄ってきた。スマホから目を上げておっ、と驚く妻。目の前にいるのにピンクのタオルを慌てて振り出す私
「どうも、お久しぶりです」と立ち止まってお辞儀され「あ、どうもご丁寧に」
慌ててカメラを構えた妻の写真には、深々とお辞儀する友人の頭が写っていた
息を切らす様子もなくコースに戻る友人を眺めながら「ビックリしたね」「うーむ、応援に来たのか邪魔しに来たのか分からん……」
よーしリベンジだ、と2箇所目に移動
でも、ランナーが全部通り過ぎるまで車道を横切れない。最終ランナーが恥ずかしそうに歩いて通行し、最後尾確認車が通り過ぎた。ボランティアのおばさん達が路上に出て散乱した紙コップをホウキで掃いている。それでも「許可があるまで横断はご遠慮ください」と若い警備員の使命感は堅きこと岩のごとし。こっちも小市民の意地で指示があるまで絶対渡らないぞっ、と待っていたら――給食所のおばさんがお盆に山盛りの食べ物を載せて「余してもしょうがないから、ほらいっぱい持ってって」と
チョコパンもろた(笑)
さて2箇所目は20キロ地点
アクアラインを降りて直ぐのカーブ。次々と現れるランナーの顔、顔、顔……
人間っていろんな顔があるんだな~、と当たり前のことに感心した。妻は回転ずしみたいだと思ったらしい(笑)
顔を出さない人もいる――コスプレランナー
プーさん
一番笑ったのはこれ
カオナシ……渋いところを狙ってきたなあ(笑)
さて、スマホのGPSにはタイムラグがあるかも知れない、と妻が言うので、早くからピンクのタオルを頭上で振り続ける
背後にはマラソンの定番、太鼓の応援団。リズムに合わせて振っていたけど、だんだんクタビレてきた。腕を下げたその時、友人が手を振って軽やかに駆け抜けた――「写真撮れた?」「……失敗した」「よーしリベンジだ!(こればっか)」
車を止められる場所は限られるから、一気にゴール地点に向かう。やっと駐車場を見つけて、途中腹ごしらえして目的地へ。ここでは賑やかにイベントが行われていた
ゆるキャラがいっぱい
たくさん居すぎて、誰が誰やら分からん(汗)
妻のお気に入り、テントウ虫ちゃん
一番可動域の狭かったのはこの子。着せられた人は難儀したことだろう
うしちゃんが目線くれた
我らがチーバくん、一番人気。私はなかなかのチーバくんファンで、数年前、幕張メッセで佇んでいる姿を見たときは、けっこう萌えた
木更津は証誠寺のタヌキだったらしい……でも遠目に後ろ姿が見えただけ、写真撮れなかった
さて、再び話を戻して
今度こそは先に見つけるぞ、と目を皿にする。もはや見慣れたコスプレランナーが通り過ぎていく……クマもん、ガッちゃん、サイヤ人……
来た!
「〇〇みちゃ~ん!」
今度は向こうが気がつかない――タオルを振りつつ「〇〇みちゅゎぁ~~ん!!」
そして私たちに気がついて、両手を振って笑顔で走り抜ける姿を見送り
「写真撮れた?」「……失敗した(汗)…速すぎるんだもん」
あーもう、と思いつつ――でもまあ、面白い一日ではあった
なんかさ、マラソンを応援するのって
用水路に笹舟浮かべて、流れてくるのを待っている感じに似てるよね……
とりあえず、ー句――
天高し 友は舗装を 流れくる
秋日和、愉しい一日でござんした
それいけ、盆踊ら~!
我が愛しの葛飾は8月で盆踊りが終る
何故か東京では、月が進むと共に盆踊りも東から西に移動する
荷物が邪魔にならないよう、ファイミル夫妻は車で盆踊り会場へと向かう。それからタイムパーキングの出来るだけ安いところを探す。でも、会場が西へと離れるにつれて、都内の横断がだんだん苦痛になる
「来年どうするかはともかく、一度行ってみないと分からないから…」いつの間にか妻の方が熱心だ
本郷菊坂――雨模様の中、4時には中止を決めていたらしい。しょんぼり帰っていく浴衣姿がちらほら
ああ、本郷菊坂!昼間散策したかったなあ。菊坂ホテル(菊富士ホテル)はどの辺にあったのだろう。
上村ー夫の劇画『菊坂ホテル』は小説王(山川惣治の絵物語復活を看板にした文庫サイズの雑誌、荒俣さんの帝都物語もこの雑誌だった)連載時に読んで単行本も買った。このホテルに滞在した著名人の内、竹久夢二と谷崎潤一郎にスポットを当てていた。夢二が名作『黒船屋』を描いたのは、正にこのホテルらしい。
そして谷崎、菊池寛、斎藤茂吉、今東光ら、当時の文人の「バケモノ」振りが、骨太のタッチで描かれていた――
今、散策してみたら、東京市の情緒はどれくらい感じられるのだろうか
閑話休題、翌日出直し
またもや雨模様だが、この日は無事開催。先ずは子どもの時間。お菓子とおもちゃ(振るとピカピカ光るアクセサリー)がたっぷり用意されている。その後は少し離れて花火を始めた。もうもうと煙が上がっている
……などという喧騒はそっちのけ、大人達は踊りまくる。もう9月も下旬、盆踊りシーズンはいよいよ終わりを告げようとしている
演目はこれ、でも音楽テープの調子が悪くて順番に流せず。何でもいいから流せ流せ!と踊り手達。結果として炭坑節と八木節が何度も流れたのはラッキーだった。郡上おどりなんて、難しくて踊れない
この会場は路上に太鼓を置き、その周りを細長~く踊り手が囲む。踊り手が増えるに連れて楕円はどんどん伸びていく
輪の中央にお師匠さんが二人、正にお手本となって踊っている
キリリとした着物姿の絹代師匠(言わずと知れた、田中絹代さん似)と、あっちゃん(佐々淳行さん――元・内閣安全管理室長にして、東大安田講堂事件鎮圧の指揮官――に似てる。因みに私はこの人を尊敬している)
この二人の端整な踊り、手本にすると凄く分かり易かった
そして9月のラストは青山。葛飾の東に住むファイミル夫妻にはホント、遠かった
ここの盆踊りはすごく盛況らしいよ、と妻
そりゃそーだ。盆踊りシーズンもいよいよ終わり、しかもこの日開催しているのはここだけなのだ
踊りの輪はどんどん厚くなり、もはやステップの隙間もない
その中に見たことのある顔がちらほら。東京中の「盆踊らー」総集結だ
絹代師匠にオニッポリくん・姫香さん。若さん・いとさんを見るのは久し振り。日暮里での白シャツくん、ブーツさんはそれぞれ粋な浴衣姿。村田くんにプラモさんもいる。早稲田で見かけた虎キチさん(阪神のハッピを着ている)、町会さんと書記長さん(いつも演目をメモしている)。柴又にいた神風じいさんまでいる――この人、どこに住んでるんだろう
混雑の中、踊りの身振りはどんどん小さくなり、私の踊りも無気力さん並み。そんな中でもすぐ後ろで「はいよ、あらさ!」とご機嫌な合いの手、友近さんだ
本会場から離れて、片隅で小さな輪を作る盆踊ら~のー団
踊りが上手過ぎて、もはや神々しい
かくて9月は終わりぬ
で、、、実は10月も有るのである……
私の盆ブログはいつまで続くんだぁ?