空はどこから

地味に日記を書いていきます

私家版『鹿踊りのはじまり』~ 岩手・江剌にて

 
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鹿踊り(ししおどり)の存在を初めて知ったのは宮沢賢治の童話『鹿踊りのはじまり』である

約10年前、私はイーハトーヴ(岩手)に住んでいた。ほんの一年ほどだった。その間、「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の黒板の字で知られている羅須地人協会を訪ね、賢治が名付けた「イギリス海岸」に行き、賢治の長編詩の如く駅から『小岩井農場』までを歩いた

そして、「鹿踊り」を観た

初めて鹿踊りを観たのは賢治の花巻ではなく、少し南へ下った江剌(合併して奥州市)、「百鹿大群舞」であった

5月とはいえ、暑い日だった。フル装備で20キロもあろうかという装束で跳ね回り、太鼓を打ちならす

f:id:faimil:20170821184054j:image休憩タイムで水分を補給する。演じているのはさぞかし壮健な男衆ばかりであろうと思っていたら、覆いを捲って顕れた顔の中に、まだ幼さが残る少女がいた。ぐっしょりと滴る汗が真珠のようにきらめき、ぜいぜいと口を開けて喘いでいた

私と妻はこの娘に近づき、写真を撮らせてくださいと頼んだ。それが当時中学生のMちゃんだった。その時、もう一人少女がいたのだが、私がMちゃんにカメラを向けるとすうと脇に逃げてしまった

妻はこの写真を元に、当時熱心に習っていた日本画を描いた
f:id:faimil:20170821185404j:imageもっと取材してしっかり描きたい、と言っていたが、この娘の所属する団体名も分からない

ダメモトで行ってみた演舞のイベント。緑豊かな丘の上の公園だった。地名はもう覚えていない
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公園の端に、他の団体の演舞を熱心に見守る、まだ装束を纏う前の軽装の一団がいた。その中にあの娘を見つけた

演舞後、今度こそ、と近づいて団体名も確認した。写真撮らせて、と言うとまた隣りの娘が離れかけたので「違う違う、君も一緒に!」と二人並んだ写真を撮った。これがMちゃんと同い年のAちゃんだった

団体の世話役にも挨拶し、これから通うんだ、いっぱいスケッチして群像も描きたい。と言っている矢先、転勤で首都圏に移った

どうしても鹿踊りを観たい!と、千葉から日帰りで出かけたのは、江剌の ささら会館での演舞会だった。世話役の菊池さんが歓迎してくれて、観客席に並んで座り、解説付きで演舞を鑑賞した
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因みに、この地方では菊池さんという姓があきれる程多い。元を辿ると南北朝時代に熊本の菊池一族が移住してきたものらしい

演舞の後、控え室までお邪魔した。そこでMちゃんに件の絵を見せた。両親にも見せたいと言うので預けて、結局そのままになった。妻としても当人にもらってもらえるならそれで良いと思っている

次こそ上手な絵を描きたい。妻は一人で江剌を訪問した。お姉さん格のCさんともその時親しく話をしたらしい

でも、さすがに千葉と岩手は遠い。とても通うことは出来ずにそのままとなった

 

そして

今年の夏期休暇、酷暑から逃げようと北への旅行を考えた。当然のように岩手だった

8月16日、目指すは江剌の夏のイベント、夜の「百鹿大群舞」
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およそ600キロの縦走。途中、白河が事故で通行止め、ナビに従って高速を降りたら那須塩原まで誘導され、うろうろしている内に解除となってまた高速に戻る、というボケをかまして、それでも江剌に着いたのは3時頃。商店街巡演は5時からだから充分余裕がある
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お目当ての団体はどこだと探していたら向こうから声を掛けられた。妻は代表さんに事前に連絡していた。この日、Mちゃんがいないのは分かっていた。でもAちゃんはいる。面影はそのままに、今は物怖じしない愛嬌者の女性に成長していた。「大きくなったねえ~」「もう23ですから」 


時間があったので付近を散策した。商店街、パレードのルートで男の子が太鼓を叩いている。門前の小僧なんとやらで、バチ捌きが見事
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「ぼく~、写真を撮らせて~」と言ったら恥ずかしがって逃げた
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転んだ
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「痛いよ~」と泣き出したが、それほどの転びかたはしていない。バツが悪くて誤魔化し泣きをしたのだろう。「ほれほれ、どうした?」お祖父さんが抱き起こすと、また元気に太鼓を叩きだした

 

そして巡演が始まる。鹿踊り勢揃い、壮観な眺め
f:id:faimil:20170822220723j:imageえっへんと仁王立ちの女の子。その視線の先にこの子のお母さんがいる

各団体が分かれて商店街の民家に向かう
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今年親族が亡くなった家、あるいは○回忌を迎える家の前で、踊りを奉納する。家族が畏まる前に厨子に入った位牌が祀られている 
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 舞が始まる
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死者へ向けて、生前愛した家族へ向けて。これは烈しく荘厳な「仏事」なのである
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スマホで動画を撮ろうとして気がついた


江剌の鹿踊り2017.8.16 - YouTube

鹿踊りの後ろで、女の子が巧みなステップを踏んでいる。左端、この子の目の前にいるのがお母さんである。いつも練習についていって、自然と身に付いたのだろう

大好きなお母さんがカッコいいから真似てみる。身体で覚える。そうして伝統は引き継がれていく

 

巡演の後、百鹿大群舞までの間、ここ江刺では盂蘭盆会のイベントが続く

燈籠流し
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花火が上がる
f:id:faimil:20170823073905j:image盆踊りの囃子も聞こえてくる

そして7時半を回る頃、鹿踊りは静かに移動を始める
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暗闇に浮かぶ異形のモノの群れ。私たちも息をひそめて後を追う

1 2団体揃っての、百鹿大群舞、メインストリートに百の太鼓がこだまする。圧倒的なボリューム感
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無言で舞う異形の者。こだまする太鼓の音と共に、何かが降りてくる。トランスする。これが日本古来の仏事であり、神事である

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写真タイム、(人間に戻った)鹿の踊り手に観客が近寄り、思い思いに記念写真を撮る
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Aちゃんはどこだ?と探す私たちの目の前で、女の子が鹿の顔を覗き込み「あ、お姉ちゃんだ!」と声を上げた。その子とハイタッチをして顔の布を捲り上げたのが……Aちゃんだった
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妻はAちゃんと並んでパチリ。私が「これぞ鹿踊り!というポーズをとって」とリクエストしたら「え~?鹿踊りって『動き』だから…」
f:id:faimil:20170817141238j:imageパチリ、これがAちゃんの鹿踊りポーズ

 演舞後、装束を脱ぎ、汗だくの姿の踊り手と世話役の皆さんに「ありがとうございました!また来ます!」と声を掛けて宿に向かったーーー

また来ます、いつ来れるかな?でもまた来ます

 

これが私の岩手、私の『鹿踊りのはじまり』の物語

そして『鹿踊りは終わらない』の物語である

 

★★★★★

 

附記

休み明け、岩手の造林作業班の班長の訃報が届いた。病院嫌いで気がついたら肺ガン末期だったらしい。私が岩手で鹿の鎮魂の舞を見ていた頃、この人は集中治療室でいまわの際にあったことになる。周りの人に常に優しく、ー人で苦労を背負いこんでも損をしても、柔和な笑顔を絶やさない人だった。この人ゆえに私は岩手(イーハトーヴ)が益々好きになった……

ここに深く冥福を祈るものである