キューポラ探して ~ 川口散策
映画『キューポラのある街』を初めて観たのはいつだったろう
リアルタイムではない、T Vで観た
更に「キューポラのある街」とは川口市のことであると記憶に刻まれたのは何故だったのか?
関東の地名・位置関係など、北海道育ちの私には全く無縁――
なのに、車で高速を走らせ「川口」という地名を見るたびに、決まって「あ、キューポラの街だ…」と思ってしまう
この映画、実はストーリーも覚えていない
ただ、貧しさに喘ぐヒロインたち市井の人々、
「地上の楽園」こと北朝鮮に帰還する親友との別れ――が漠然と記憶にある
私は北海道の田舎で育ち、贅沢こそしていないが、慎ましい両親の許、衣食住の不安のない少年時代を過ごした
私は貧困(物質的な貧しさ)を知らない……
学生時代1ヶ月間、肉を食わずに米と味噌の暮らしをしたり、布団を出さずに新聞紙にくるまって寝てみたりしたのは、そんな焦燥感の表れだったのかな、と思う
『キューポラのある街』が私の記憶に刻まれたのは、この映画が貧困と挫折、そして心の再生をモノクロの映像に力強く刻んだ映画だったから、かも知れない
さて、ファイミル夫妻の「落下傘散歩」――何処かにトンと降り立って歩き出す――草加の次に選んだのは川口だった
キューポラって、漠然とエ場の煙突だと思っていた。煙突のことを何処かの外国語でそう呼ぶんだろうな――メリーポピンズの「チムニー」みたいに
でも違った、鋳物を焼くための高温の炉のことだった
↓これね。とあるマンションの中庭に飾られていた
では、鋳物って……何だっけ?
博物館で見て、あっ、これか!と思った
石炭ストーブだよ。地下水を汲むポンプとかね
この日、まず降りたったのは川口神社
その脇に金山神社、鋳物師の神様だ
鋳物の防火桶、良い存在感だなあ
川口駅へ向かう
鋳物工場で働く人の像
そして
やっぱりキューポラ飾ってあった
さて、観光マップを入手して、どこに行こうか?
例によってノープラン
何処って、やっぱりキューポラ見たい
あと、荒川の土手に行きたい――映画で純(吉永小百合さん)が走った場所だ
途中、金物屋で猫を売ってた?
野良ちゃん発見
近づいたら
なんだよ!とメンチ切られた
さて、マップでキューポラのある場所、に辿り着いたけど、どれのことだか分からない
妻がスマホを検索する
屋根から出てる大きな突起がキューポラだよ
屋根から出てたら煙突じゃないか
だって、ほら!とスマホの画像を突き出す
ふーん、それなら
これとか
これがキューポラだ
パチンコ屋の屋根にもキューポラ
鋳物工場を改装したのだろう
荒川の土手にたどり着く
『キューポラのある街』は子役として成功を納めた吉永小百合さんが、若手女優としての変貌を遂げた記念碑的作品だ
そして浦山監督のデビュー作だった
浦山監督はその後、女優を育てる名手と言われたが、女優いびりも凄かった
撮影当時、小百合さんは盲腸の手術直後。まだ傷口が引きつっていた
監督はその小百合さんに土手での全力疾走を命じた。何度も何度も走らせた
でも小百合さんは泣き言ひとつ言わずに走りきった
そして小百合さんは「本物の女優」となった
その土手――
ファイミルも走ってみた!
因みにこれは、ヒロイン・純が通っていたという中学校
きれいな学校だなあ……でも時代の面影はない
旧芝川、門樋橋から右岸を眺める
見事に町工場が並んでいる
そしてキューポラ
旧芝川はこってりと緑色に澱んでいた
それが鏡となって、川面に景色が映っていた
休憩時間なのだろう、作業服の男性が川面を眺めて煙草を吹かしている
町工場の風景――
これは散歩の途中で見た看板
ここは近代日本のふるさと――でも、私の原風景ではない
私は農村で育った
私の両親は米農家の出身である
母は出面(バイト)で田植え・稲刈りをやっていた。勤め人の父も休みの日には手伝だった
兄は小学校高学年で鎌の持ち方を教わった
ざっざっざっ……
稲を刈る音が軽快に響いていた
幼い私は畦道に座って、仕事が終わるのを待っていた
やがて陽は翳り、5時の音楽が鳴る――
(夕焼け小焼けで日が暮れて)
それが私が見た風景、私が聞いた音、私の嗅いだ匂い
この日の川口散歩
なんとなく馴染めない工場の街
それは逆に、自分が「田舎」の子であることを再認識させてくれた散策でした