柴又のさくらさん
柴又は私の好きな東京である
昨年の盆踊りでは、いにしえの「東京市」の面影を求めて、帝釈天での盆踊りに「通った」w
京成線・柴又駅前には、柴又から「旅立つ寅さん」像がある。18年前から「ー人で」立っていた。そして昨日(25日)、寅さんファンの念願が叶って、「見送るさくら」像が誕生した!
もちろん、ここは何度も訪れている。これは昨年9月の『柴又宵まつり』
寅さんの目の前にチンドン屋さんが現れた
寅さん像に群がる子供たち
すっかり懐いてる(笑)
さて、除幕式当日。やっぱり田舎者気質の私達、東京の人混みを甘く見ていた。20分前に駅に着いたらこの状態 なんも見えん(汗)
かろうじて、桜色のベールを掛けたさくら像の頭が見える
そしてさくら=倍賞千恵子さん
山田洋次監督が微かに見えた
(この写真、妻からもらった。ハートマークは妻が自分のSNS用に加工していた)
「見えないけど、音が聴けるだけでも」――かつてスタンディングのライブ会場で、隣に立っていた女性の言葉を思い出した
寅さんファンに混ざって、みんなで監督とさくらさんの挨拶を聞く……そう思うと、やっぱり満足感が湧く――集まった人々の『男はつらいよ』への想いの軽重は様々としても
さくら像のポーズをどうするか? そのイメージを決めるために山田監督はそのシーンのシナリオを書いた
倍賞さんは、その初々しい姿を「これは妹さくらね」と評してから、製作中に工房を訪ねて像にサインをした、というエピソードを明かした
サンダルに『さくら』――「これは倍賞千恵子ではなく、諏訪さくらが書きました」
式典の後、囲み取材。観客が抜けていくなか、やっと前に進めた
「なんでい、さくらばっかりモテやがって」寅さんの僻んだセリフが聞こえそう(笑)
一旦抜けて昼食を取り、2時過ぎに出直した
これを確認したかった。さくらの視線の先の寅さん
寅さんの視線の先のさくら
そこにどんな感慨を抱くのか……ファンの想いは千人千様
以下は2015年3月に書いたブログ――これが私にとっての『寅とさくら』です
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泣いているんだ兄さんは ~ 寅とさくらの物語
「男はつらいよ」の原案は「愚兄賢妹」――
山田洋次監督が語っていた。
これは私が好きなユーモア小説家、佐々木邦の代表作「賢兄愚弟」のリスペクトである。
つまり「男はつらいよ」は賢妹がいて成立する。愛する妹を悲しませるから、兄(男)はつらいのである。
♪
どうせ俺らはヤクザな兄貴
分かっちゃいるんだ妹よ
意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄さんは……
私には女きょうだいがいない。
つまり、若い娘さんと生活を共にしたことがない。
もちろん、心配してくれる娘さんもいなかった。
だから、さくらは理想像である。
こんな妹を困らせて
「お兄ちゃん!」と叱られてみたかった。
寅さんシリーズは、三作目と四作目のみ、山田監督がメガホンを取っていない。
そしてこの二作品では、さくらがほとんど登場しない。
威勢の良いオアニイサン、フーテンの寅は賑かに活躍するが、私には物足りなかった。
このシリーズの裏コンセプトは「妹はつらいよ」
これは寅さん映画であると同時に、さくらの映画なのである。
寅さんは誰かに手紙を書くとき、さくらのことをいつも「愚かなる妹」と書く。
ある時、寅さんは さくらの前でそれを読みあげる。文面には愚妹、愚妹と連呼されている。
さくらはそれを聞いても「いやあねえ」とひと言――怒りも笑いもしない。
度量が桁違いに大きいのだ。
何十作目の時だったろう
山田監督がインタビューに答えていた。多分、何作目まで作るのか、というような質問だったと思う
「……さくらもすっかりオバサンになっちゃって」
会話の脈絡もなく、監督が言った。しかもインタビュー中2回も。
理想の さくら を最も追い求めたのは、監督自身――さくらに会いたくて寅さんシリーズを作り続けた、そんな気さえする。
山田監督の初期の作品には「馬鹿が戦車でやって来る」とか「なつかしい風来坊」とか、云わば寅さん系のキャラが活躍する喜劇が多い。
しかし、そこには「マドンナ」はいても「さくら」がいない。
山田喜劇は
さくら=心で泣いてくれる賢い妹
によって完成するのだ
――あくまで個人的な見解ですよ
今、BS-ジャパンで週一回、土曜は寅さん!と銘打って「男はつらいよシリーズ」を放送している
私の印象深かった名セリフは何話目だろうと観ていたら、第8話だった。
とらやの2階、寅さんが鞄に着替えを詰めている。
さくらが上がってきて、寅の脇に悄然と座る
「行っちゃうの?」
「さくら、あんちゃんみたいに、ふらりと旅に出たいと思ったことがあるか?」
「あるわよ……そしてこんな木枯らしが吹く夜に、ああ、今頃さくらはどうしているかな、寒い思いをしていないかな、って……心配させてあげたいわよ」
凛々しく清潔感に溢れ、情は深いが媚びるところがない。
聖女と言ってしまうとそれまでだけど……
文学的(?)に捻って考えてみる。
こんな立派な妹がいたら、愚かな兄はヤンチャして、ダダを捏ねるしか、やりようが無くなってしまう。
立派になるんだ――自慢の兄さんになるんだ――と夢を描いても、生来の怠け者、挫折を繰り返す。
愚兄には、妹を困らせることしか愛情を伝える手段がないのである。
心で泣いて詫びることしか出来ないのである。
つまり、さくらとは男の理想像でありながら――賢く清潔過ぎるがゆえに――
実は男を挫けさせる、希代の悪女なのかも知れない。
と、一応の結論が出たところで――
自分の身に置き換えて、つらつら思う……
愚妻で良かったw
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おまけ――
さくらの魅力は理知的なおでこ。真面目で清潔感溢れるキャラクター
話は飛ぶけれど……
花童を知った頃、まだメンバーの名前が分からなかったので勝手に綽名で呼んでいた
この娘(あかねちゃん)を見たとき思った
あ、さくらちゃんがいる!(笑)
銀の滴、金の滴 ~ こわらべ旅情
次に花童の舞台を観るのは3月末の仙台である。それまではYouTubeを観ながらわずかな記憶を辿るしかないのである
『長崎旅情』――これは2月の初午をどりで初めて観た
かなちゃん・れいなちゃんが大きな銀の玉がついた杖を持って登場する。首まわりで白い襟がひらひらしている
これ、オランダ風の飾りなのかな。長崎だもんな――長崎、出島、オランダ、カピタン、かすていら――行ったことない。私が長崎に持っているイメージってそんなもの
あの玉はなんだろう?
龍の玉じゃないの?ほら、龍の舞いで先頭に玉を掲げるでしょ、と妻。こちらも北海道育ち。カピタンの襟(西洋)と龍の玉(東洋)――うーん異国情緒だねえ、と何も分かっていない
さて、かなちゃんと
れいなちゃん
YouTube動画では2012年から登場する。さすがに幼かった。幼いゆえに良く似ていて、最初は見分けがつかなかった
「双子じゃないかな」と夫婦で話していた。
「じゃあ、金ちゃんと銀ちゃんだね」――当人たちに知れたら怒られそう
もちろん今ははっきり見分けがつく。ダイナミックに踊る「動」の かなちゃんと、柔らかな物腰の「静」の れいなちゃんである
東日本大震災七回忌追善公演(3月29日)まであと10日あまり
仙台の舞台で何を演るかな?と考えたりする
『おてもやん』は熊本の看板曲、まずこれは演るだろうな。これに『あんたがたどこさ』も絡めるかも知れない。『五木の子守唄』はどうだろう――東北の人が間違いなく知っている「ザ・熊本」はこの辺だろう。
締めの曲は『三百六十五歩のマーチ』と予想する。熊本出身「水前寺」さんの名曲だ
清正公さんを称える曲も良いと思う。どちらも城下町、熊本にとっての清正公、仙台にとっての正宗公――城下町の人々の名君を誇る情緒には相通じるものがある。これが岩手となると、殿様よりも宮沢賢治、もう何かっていうと賢治と銀河(笑)
『くまもと音頭』の冒頭の歌詞「杜の都の名物の~♪」を聴いたとき、あれ?と思った。杜の都って仙台じゃなかったっけ?
杜とは、「森」に対しての「里の自然」のことらしい。自然豊かな城下町――熊本は確かに「杜の都」である
長崎旅情――今は玄沢寺での動画がアップされていて、繰り返し観ている
長崎の異国情緒、私には異国過ぎて曲の由来も何も分からない
では、北海道らしい「異国情緒」って何だろう?
勝手に思うのは……
銀のしずく ふるふるまわりに
金のしずく ふるふるまわりに
この二人がもし、アイヌの装束を纏って踊ってくれたら、さぞかし可憐だろうな、ピリカ(美しい)だろうなあ
道産子の私は、そんなことを夢想したりするのである
東京の熊本~熊電とメトロ
先月の熊本
花童の舞台は湧々座だけだから、熊本城界隈で用が足りるね、と思っていたら、妻が不平を言った。どっか別の処も見たい、と言っても足を伸ばすほど時間もないし……漱石の家でも行く?
そんな中、どこで入手したのか妻がスタンプラリーのパンフを見つけてきた。熊電と東京メトロをハシゴして、ANAの搭乗券の控えを添付したら、抽選で羽田-熊本の航空券が当たる――なんとまあ、我々にぴったりの企画!
初日、さっそく藤崎宮前駅でスタンプゲット!……と思いきや、上段の応募用紙の欄を見落として控えの欄だけ押して帰る――というボケをかまして、夜に作戦会議。こんな時、いつものん気な妻は張り切って分刻みの計画を立てる
11時には湧々座に着かなければならないから、朝イチで北熊本へ行って……
熊電、初めて乗った。特別仕様、外も中もくまモン尽し!
くまモンの表情って、こんなにバリエーションあったっけ?
日曜の早朝なので乗客は疎ら、車内も散策し放題!と舞い上がってるペアが……私達の他にもうー組いた(笑)
車内でスタンプゲット
そして、漱石さんと会う
北熊本駅は漱石が教師として来熊した時、最初に降り立った駅である
さらにここから『草枕』の舞台となった小天温泉までの遊歩道がある
冒頭の一節があまりにカッコイイので『草枕』は学生の頃読んだ。でも舞台が熊本、という記憶は全くなかった。北海道を出たことのない私にとって、北海道以外はみんな、馴染みのない「異郷」だったのだ
熊本編ラスト、熊電のアンテナショップ
スタンプ欄を埋めて景品をもらう
その内のーつ、Cool SOSEKIの手拭い
白い柄を良く見ると、草と枕で「草枕」……センスが有るんだかないんだか(笑)
🚃🚃🚃🚃🚃
東京編は3月4日。前日、気の弛みから夜更かしして、出発は12時過ぎ
もうさ、永田町なんてうろつかなくていいよ。パワースポットで有名な清正の井戸もやめやめ――永田町駅、スタンプだけ押して直ぐにメトロへ。北参道駅も同じ
そして護国寺駅から徒歩十数分、散策するならここ!――松聲閣
清正の後、肥後を治めた細川家の江戸屋敷。その後、学問所となった
二階に上がると「よへほ灯籠」が飾ってあった
そして庭園――なにやら水前寺成趣園を彷彿とさせる
でも、水は緑色に濁っている。ここは東京……水前寺公園 清水でタンタン~♪ とはいかないね
そんな中、印象に残った水琴窟
柄杓で水を垂らすと地中の壺に水滴が落ち、壺の中で反響する
竹筒に耳を当てると……ティン・ティン・ティン……キキキキ、キーン
一服の清涼剤。張り詰めた弦をつま弾くような、澄んだ音色が聞こえてくる
さて、この日はうららかな晴天
男の子が3人、冬枯れの芝生の中を駆け回っていた
まだ寒いのに。元気だね、水遊びしてる
と……良く見ると下半身が肌色。その内の一人がパンツまで脱いでいる(笑)
帰り際、庭園の出入口で説明板を読んでいると、この子達が駆け出してきた
その濡れた姿を見て「風邪ひくよ~」と妻。
「池に落っこっちゃったの」
「お尻出してたでしょ!」
「え~?見てたのお~?」頓狂な声を上げて、露路に駆けていった。一人はお尻を出したまま(笑)
銀座や新宿ばかりが「東京」ではない。それは私の嫌いな東京。毛穴の奥までくすんでしまいそうだ
でもこの子達には、確かな息吹を感じる。人の営みとは、こういうものだ
こんな東京もある――或いは、ここは「東京」の一画にぽかりと現れた「熊本」だったのだろうか
銀座くまもと館に着いた頃は陽が暮れていた
東京編もスタンプ完了
貰った景品のーつ。メトロ&くまもとの手拭い
でも、私の目当てはWチャンス。東京-熊本の航空券……当たったら
一回多く、熊本に行くよ~
もちろん、花童 目当てでね!
「忘れない」ということ
正しいことをしている、というのとは違う。どこか偽善を抱えながら、已むに已まれず、という意識がある。無理なく出来るレベルだから続いている、ということもある
3.11をどう過ごすか?
あの翌年は岩手のアンテナショップ『いわて銀河プラザ』(東銀座、歌舞伎座の斜め向い)で黙祷した。その後、会社が3.11を『災害発生時訓練の日』と決めたので、アンテナショップには行けなくなった
今年は土曜日。「どうするの?」と妻が尋ねる。それは「当然、行くんでしょ?」という意味だ。私たちはわずか1年3ヵ月とはいえ、岩手で暮らしたことがある。岩手は正にイーハトーヴだった。私たちは賢治を感じ、鹿踊(ししおどり)を愛した
そして、今日の『いわて銀河プラザ』
そばっちがスキーを履いていた
14:46の数分前――今回もテレビが設置され、式典の映像が流れている
涙ぐむ人。ああ今日がその日か、と集団に加わる人。ちょっとすいません、と人垣をすり抜ける人――
そして14:46、黙祷
銀河プラザにあった岩手日報社の郷土本。知りたくて買った……と同時に、読むのが気が重かったりもする
以下は私がブログを書き始めて最初の3月を迎えた時――2013年の記事の再録である
↓↓↓
「忘れない」ということ
長塚節(たかし)の農民小説『土』
学生の頃、読んだ。
貧しい農民の生活を淡々と描いていた。
文庫本一冊なのに、やけに長く感じた。挫折しかけたが気力で読み切った。
「あとがき」に漱石が文章を寄せていた。
「自分の娘たちが年頃になり、贅沢をしたい遊びたいと言い出したら、長塚節の『土』を読ませる」
「世の中には、面白くなくても読んでおくべき本があるのだ」
ひっくり返った。さすが漱石。ここまで読んでよかった。
3月11日、私は東京のオフィスにいた。
ヘルメットを被って皆で駐車場に避難した。
総務の女の子が、片手に社長印の入った小箱を持っていた。
「サラリーマンのカガミ!」と皆で褒めた。
妻と愛猫が無事なことはメールで確認が取れていた。
帰宅を諦めた連中はコンビニでカップラーメンやアルコールを買い込んだ。
帰宅組は社用車を動員して方向毎に乗り合わせることになった。
千葉方面の一台目。まず女性を乗せて地理に明るい奴を運転手につける、と数えると、まだ一人乗れる。
先輩と「先に乗りなさい」「いえ、○○さんより先に乗れません」と譲り合っていると、
私たちの前を脇目もふらず通り過ぎ、女性よりも先に車に乗り込んだ年配の男がいた。
私たちは驚かなかった。それは日頃の姿から想像できる、その人らしい行動だったからだ。
家に着くまで6時間。
しかしそれは、行列をなして歩いている人たちより遥かに快適であった。
「何だか申し訳ないね」
私たちは車の中で話し合った。
それが私の被災体験。パロディのように軽い。
岩手に住んでいた頃からの知り合いは皆、無事だった。電気、水道が止まったのは難儀したようだが、元々山仕事系なので、津波の被害にあった人はいなかった。
岩手のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」は銀座の、歌舞伎座の斜め向かいにある。
ここに来た時は、よくジャジャ麺を買っていた。
店が再開したと知り、募金に行った。
休憩コーナーには分厚い「避難者名簿」が何冊も置かれていた。
その名簿を食い入るように眺め、ページをめくる人たちがいた。
それが、私が初めて眼前で見た「被災の現実」だった。
テレビを始めとする各種メディアが、被災された方々の
今なお安定しない生活
疲れていく心の内
を伝えている。
それらの情報を見るか見ないかは人それぞれだ。
しかし、私は漱石の言葉を思い出す。
世の中には
「見たいか見たくないか」ではなく、
「見なければならないもの」がある。
無関心は「消極的な暴力」なのだ。
今日、銀座で小さな写真展を訪れた。
都会のおしゃれなビルの最上階でひっそりと開催されていた。
瓦礫の中、被災地(陸前高田)の人々の素直な表情を映し出す写真たち。
それは無関心を装う都会(銀座)に似つかわしくなく…だからこそ逆に、似つかわしいとも思えた。
こんな風に日本中(世界中)のあらゆる場所に、震災の記憶が静かに深く染み渡っていけば良い。
私は「忘れない上手な方法」とは何か、考えている。
↓↓↓
このブログを書いてから4年が経った
そして私は、ただ年だけを取った
白い狐は良い狐~花童・初午をどり
YouTubeで飽かず観ている花童の動画
お気に入りは数々あれど、その一つが『祭り狐』
2月11~12日、二度目の訪熊。目的は……狐!
この演目、こわらべの5人がきつねの耳を着けた衣装で踊る……そりゃ萌えるよね
花童の出演スケジュールはホームページにアップされない。情報が掴みきれない中、フェイスブックにシェアされたポスター画像
『くまもと初午をどり』
これって、きつねだよね。きっと祭り狐、演るよね!?
そうそう頻繁に熊本まで飛べない。イベントを選ぼうにも情報がない。だから、きつねに賭けて飛んでみた
熊本城城彩苑、勝手知ったる湧々座。ロビーで熊八さんにお久しぶりと挨拶。そして手にした演目リスト
よっしゃ!祭り狐!
演目は12曲、これは!と思うものも多々あるけれど、ここでは狐に絞ります。とても書き切れないから(笑)
まずは本ぎつね、かなちゃん・れいなちゃんが登場
中央でコン!
前口上の合間でコーン!
コン!
この二人が、けものらしい狐を演じる。腰を落し前屈みになった かなちゃんは、まさに肉食獣の狐そのもの。これはダイナミックな動きが得意な、この娘の当たり役である
一方のれいなちゃんは、上半身がひょろりと伸びて、むしろ穏やかな草食獣に見える。この娘の当たり役は『うさぎ団子』――と私は思っている。この演目も生で観たいなあ……よ~いよい♪
そしてきみかちゃん。桶を抱えて登場。中には狐の好物、油揚が入っている
それを取り合う、かな狐・れい狐
桶で連想されるのは『江津湖音頭』――2012年に柴田さんが投稿した傑作動画がある
その頃から――横座りすると両足が浮いちゃうような幼い頃から――きみちゃんはこわらべの第一線で踊ってきた、まさに花童の純正アイドルである
そして神の子・ゆうあ――この年令で踊り得る、最も美しい踊りが出来る娘である。やはり2012年の『だるま踊り』の動画を観た時「(芸能の)神様に愛された子とは、こういう子なのか」と感嘆した
足腰の強靭さ、この静止ポーズの見事なこと!
大好きなシーンなので別アングルも
さて、YouTubeで観た『祭り狐』は、この4人に年長のめぐみちゃんが加わっていた――今はすずちゃん
かつては『紙人形』で、隣りのきみちゃんを真似ながら踊っていた。そして昨年7月、あさぎり町文化ホールの動画、5人のセンターで『お祭りマンボ』を踊る姿を観て「よくぞここまで追いついた!」と喝采した
そしてこの娘は、クールビューティが多い こわらべの中で、クリクリした表情を見せる愛嬌者でもある
踊りは神事、祈りを込めるもの。『祭り狐』は花童の縁起ものの傑作である
何より、私が幸福な気分になる(笑)
おまけ――
11日夕刻、城彩苑から足を伸ばして(数分だけどね)熊本城稲荷神社をお参りした
初午大祭の前日だった
幸運の輪。この前で花童が踊っている動画も観たことがある
「稲荷詣りは福詣り、初午詣りで福詣り、白髭神社で福迎え……」
くるみさんをセンターに勢揃いした花童が、日差しに目を細め、口上を唱えて踊り出す
北海道の真ん中で育った私は「初午」という言葉自体、知らなかった。稲荷神社も馴染みがない
大きな社殿、見上げると――
コーン!
白いきつねは良いきつね
こわらべきつねで福むかえ
家内安全、商売繁盛、しょーばいはんじょ~♪
応援の楽しみ~東京マラソン編
間違って新宿の交差点で深呼吸したことがある。呼吸が止まってゲフゲフと咳き込んだ
そんなところを走りたいって、何故?
それは……トーキョーだからです
今回、妻の北海道の友人が抽選に当たって出場。もう一人、抽選に漏れた友人も「おトモ」に付き添った。当然妻のテンションは上がる。私も「おトモ」に付いてった(笑)
スタート地点は混雑してとても落ち合えないだろう――と神保町、7キロ地点でおトモダチと待ち合わせ
例によって、ボランティアさんの数が多い。いざ始まると給水場は戦場になる。ミーティング後にテーブルの設置、ご苦労さま
うろついてたら、たい焼き型カイロを貰った。いいお土産になるね
この日は晴天、暖かくてマラソン日和。カイロは使わず持ち帰った
ランナーは約3万人、沿道で応援してても気がつかないだろうと用意したのがこれ
↓
熊本城・城彩苑で入手した「熊本城マラソングッズ」
まあ、細かいことは言いっこなし。ランナーにはコスプレもいっぱい。くまモンは着ぐるみからキャップやTシャツ着用も含めてざっと30人はいた。その都度「くまモ~ン!」と応援したから、まあイイよね
スピードランナーが駆け抜けた後、ワラワラ現れる一般ランナー。お目当てのランナーはどこ?と沿道の応援はみんな乗り出して斜めになる。これで一時間もいると身体がバリバリに固まる
今はGPSでお目当てのランナーを検索できるので大変便利。でも走り過ぎるのは一瞬、タイムラグがあったらおしまい
となりに立っていた家族連れのおばさん。「こんなに大勢いたら分かんない」と愚痴った末に――「しょう子ちゃーん!しょう子ちゃーん!いたら返事して~!」と叫び出した。そんな無茶な(汗)と思っていたら、結局しょう子ちゃんは見つかった。周りの観衆、しょう子ちゃんってどんな人?と一斉に注目した
来てみて分かった。東京マラソンの良いところは交通網――地下鉄を駆使して、何ヶ所も移動して声援できる
これは3ヶ所目、立ち止まりNGの歩道橋上で慌ててパチリ
この下で妻たちとはぐれる。携帯で「おーい何処だ!? 俺はここだぞー!」と赤いスティックを振っていたら――「あ、旦那さん」と目の前でランナーの○○美さんが立ち止まっている
「わっ!今、迷子です」と……全く応援に来てんだか邪魔しに来たんだか(汗)
4ヶ所目、芝の増上寺前。ここは絶好の撮影ポイント
増上寺は家康の菩提寺。江戸文化の象徴のひとつ
そしてバックに東京タワー
応援のギャラリーもいっぱい
ここは無事に〇〇美さんと遭遇。実は2ヶ所目はタッチの差で見逃している
地図と首っ引きで次のポイントを相談する妻とおトモダチ。その脇で所在なげにスティックを叩いてビンビン音を出していた私は……ウザイ子供なみ
結局、無理して行き違いになるよりは、とゴール間近に直行する。皇居から一本入った行幸通り
もう歩くランナー、足を引きずるランナーも多い。硬い舗装道路で42キロ。私なら30分も走れば膝がパカンだ
観衆はお目当てのランナーを見送れば立ち去るから最前列は次々変わる。私の脇の狭いスペースに小さな兄妹が潜り込んできた。後ろでおばあさんが「良く見てるんだよ」と微笑んでいる。と「パパだ!パパだ!」子ども達が跳び跳ねる。三十代くらいのお父さんが駈け寄ってくる。おばあさんに場所を譲った。「ありがとうございました」と立ち去る姿に、やっぱり譲り合わなきゃなあ、と思う
やがておばさんのー群が現れる。私達の後ろから路上を眺めて盛んに「テラダさん、テラダさん」と言っている。「来た~!」「テラダ!テラダ!」の大合唱。私達三人はとっさにしゃがみ込む。見た目六十代の「テラダさん」は走り寄り、私達の頭越しに華麗に投げキッス
「ありがとね~」と立ち去るおばさん達を尻目に、さて我らが○○美さん――ところが待てど暮らせど現われない。やがておトモダチが「あっ!? もうゴールしてる!! 」
三人で目を凝らしていたのに、何故見逃した?
テラダだ!あの時通り過ぎたんだ!
目を逸らしたタイミングって、他に考えられない
う~ん、テラダめえ~!
譲り合いなんか、しなきゃ良かった!?
一時間近くも待機して、結局○○美さんを見逃した、その悔しさ……
私たちは以後、このエピソードを『寺田屋事件』と呼ぶことになる……かどうかは知らない(笑)
ゴールの後、荷物置き場――日比谷公園――まで歩くらしいよ
え?東京駅と日比谷公園って、遠いよ
皇居沿いまで戻ると、そこには白い長蛇の列。まるで難民の移動のようだ
ふらふらでゴールした後、防寒シートを羽織り、汗の冷えた身体で延々と歩かされる……何だか完走した勝者の姿に見えない
「リタイヤしてバスに乗った方がマシじゃないの? 」と言ったら、「そういうバスの中って暗いらしいよ~」と、おトモダチにたしなめられた(笑)
私は思うのである。トーキョーは「数」のマチである。「数」を処理するには、個性豊かに走り抜けたランナー達をこのように扱うしかないのである
もし私が走るなら、田舎の大会を選ぶね。完走後、回送バスで地元の温泉保養所に運んでくれるような大会がいいね
でも応援するなら……東京は面白かった
おトモダチが出れば――
また来るよ~(笑)
誰かさんの誕生日
ニュースを見ていて、23日が皇太子さんの誕生日と知った
あれ?
そうだよ、私と同じ日だよ――と妻
いずれ、日本中が休みを取ってお祝いしてくれるね、おめでたいね
そういえば、妻の友人に某国の前の首領様と同じ誕生日の女性がいた
当日は御主人が「一人マスゲーム」をしてお祝いしてくれたそうだ ……ん?
私にはそんな芸がないから、静かに外食をして、ちょっとケーキ
ここ数年、ケーキはアンリ・シャルパンティエと決めている。いつも松屋の地下で買う。深い意味はないが、妻は前世フランス人である……たぶん
花はね、猫が食べてゲロを吐くから、長いこと買ってない
普段は外に置いている梅の木
部屋に入れたら即効、餌食
「ね子はかすがい」と言うけれど(?)
こいつらが居なかったらとっくに破綻していたかも知れないな……
先日、旅先で「ラーメンでも食べようか」と言ったら「ダイエットでカロリー控えてるのにラーメンを無理強いした」と不機嫌になった。「嫌ならそう言えばいいのに」と返してももはや理屈は通じず、その後しばらく、お互い口を利かなかった
仕事で出張する度、お菓子とかチーズとかのお土産を買って帰る。ケンカになると「そんなもんで騙されないわよ!」と言われる……騙すって、ナンだよ?
ああ、誰かと暮らすって面倒くさい
でも、誰かとペアで居るって……楽だ!
まあ、おめでたい日だからグチめいた話は程々に――
Happy Birthday
皇太子さんと……我が家の古猫