応援の楽しみ~東京マラソン編
間違って新宿の交差点で深呼吸したことがある。呼吸が止まってゲフゲフと咳き込んだ
そんなところを走りたいって、何故?
それは……トーキョーだからです
今回、妻の北海道の友人が抽選に当たって出場。もう一人、抽選に漏れた友人も「おトモ」に付き添った。当然妻のテンションは上がる。私も「おトモ」に付いてった(笑)
スタート地点は混雑してとても落ち合えないだろう――と神保町、7キロ地点でおトモダチと待ち合わせ
例によって、ボランティアさんの数が多い。いざ始まると給水場は戦場になる。ミーティング後にテーブルの設置、ご苦労さま
うろついてたら、たい焼き型カイロを貰った。いいお土産になるね
この日は晴天、暖かくてマラソン日和。カイロは使わず持ち帰った
ランナーは約3万人、沿道で応援してても気がつかないだろうと用意したのがこれ
↓
熊本城・城彩苑で入手した「熊本城マラソングッズ」
まあ、細かいことは言いっこなし。ランナーにはコスプレもいっぱい。くまモンは着ぐるみからキャップやTシャツ着用も含めてざっと30人はいた。その都度「くまモ~ン!」と応援したから、まあイイよね
スピードランナーが駆け抜けた後、ワラワラ現れる一般ランナー。お目当てのランナーはどこ?と沿道の応援はみんな乗り出して斜めになる。これで一時間もいると身体がバリバリに固まる
今はGPSでお目当てのランナーを検索できるので大変便利。でも走り過ぎるのは一瞬、タイムラグがあったらおしまい
となりに立っていた家族連れのおばさん。「こんなに大勢いたら分かんない」と愚痴った末に――「しょう子ちゃーん!しょう子ちゃーん!いたら返事して~!」と叫び出した。そんな無茶な(汗)と思っていたら、結局しょう子ちゃんは見つかった。周りの観衆、しょう子ちゃんってどんな人?と一斉に注目した
来てみて分かった。東京マラソンの良いところは交通網――地下鉄を駆使して、何ヶ所も移動して声援できる
これは3ヶ所目、立ち止まりNGの歩道橋上で慌ててパチリ
この下で妻たちとはぐれる。携帯で「おーい何処だ!? 俺はここだぞー!」と赤いスティックを振っていたら――「あ、旦那さん」と目の前でランナーの○○美さんが立ち止まっている
「わっ!今、迷子です」と……全く応援に来てんだか邪魔しに来たんだか(汗)
4ヶ所目、芝の増上寺前。ここは絶好の撮影ポイント
増上寺は家康の菩提寺。江戸文化の象徴のひとつ
そしてバックに東京タワー
応援のギャラリーもいっぱい
ここは無事に〇〇美さんと遭遇。実は2ヶ所目はタッチの差で見逃している
地図と首っ引きで次のポイントを相談する妻とおトモダチ。その脇で所在なげにスティックを叩いてビンビン音を出していた私は……ウザイ子供なみ
結局、無理して行き違いになるよりは、とゴール間近に直行する。皇居から一本入った行幸通り
もう歩くランナー、足を引きずるランナーも多い。硬い舗装道路で42キロ。私なら30分も走れば膝がパカンだ
観衆はお目当てのランナーを見送れば立ち去るから最前列は次々変わる。私の脇の狭いスペースに小さな兄妹が潜り込んできた。後ろでおばあさんが「良く見てるんだよ」と微笑んでいる。と「パパだ!パパだ!」子ども達が跳び跳ねる。三十代くらいのお父さんが駈け寄ってくる。おばあさんに場所を譲った。「ありがとうございました」と立ち去る姿に、やっぱり譲り合わなきゃなあ、と思う
やがておばさんのー群が現れる。私達の後ろから路上を眺めて盛んに「テラダさん、テラダさん」と言っている。「来た~!」「テラダ!テラダ!」の大合唱。私達三人はとっさにしゃがみ込む。見た目六十代の「テラダさん」は走り寄り、私達の頭越しに華麗に投げキッス
「ありがとね~」と立ち去るおばさん達を尻目に、さて我らが○○美さん――ところが待てど暮らせど現われない。やがておトモダチが「あっ!? もうゴールしてる!! 」
三人で目を凝らしていたのに、何故見逃した?
テラダだ!あの時通り過ぎたんだ!
目を逸らしたタイミングって、他に考えられない
う~ん、テラダめえ~!
譲り合いなんか、しなきゃ良かった!?
一時間近くも待機して、結局○○美さんを見逃した、その悔しさ……
私たちは以後、このエピソードを『寺田屋事件』と呼ぶことになる……かどうかは知らない(笑)
ゴールの後、荷物置き場――日比谷公園――まで歩くらしいよ
え?東京駅と日比谷公園って、遠いよ
皇居沿いまで戻ると、そこには白い長蛇の列。まるで難民の移動のようだ
ふらふらでゴールした後、防寒シートを羽織り、汗の冷えた身体で延々と歩かされる……何だか完走した勝者の姿に見えない
「リタイヤしてバスに乗った方がマシじゃないの? 」と言ったら、「そういうバスの中って暗いらしいよ~」と、おトモダチにたしなめられた(笑)
私は思うのである。トーキョーは「数」のマチである。「数」を処理するには、個性豊かに走り抜けたランナー達をこのように扱うしかないのである
もし私が走るなら、田舎の大会を選ぶね。完走後、回送バスで地元の温泉保養所に運んでくれるような大会がいいね
でも応援するなら……東京は面白かった
おトモダチが出れば――
また来るよ~(笑)
誰かさんの誕生日
ニュースを見ていて、23日が皇太子さんの誕生日と知った
あれ?
そうだよ、私と同じ日だよ――と妻
いずれ、日本中が休みを取ってお祝いしてくれるね、おめでたいね
そういえば、妻の友人に某国の前の首領様と同じ誕生日の女性がいた
当日は御主人が「一人マスゲーム」をしてお祝いしてくれたそうだ ……ん?
私にはそんな芸がないから、静かに外食をして、ちょっとケーキ
ここ数年、ケーキはアンリ・シャルパンティエと決めている。いつも松屋の地下で買う。深い意味はないが、妻は前世フランス人である……たぶん
花はね、猫が食べてゲロを吐くから、長いこと買ってない
普段は外に置いている梅の木
部屋に入れたら即効、餌食
「ね子はかすがい」と言うけれど(?)
こいつらが居なかったらとっくに破綻していたかも知れないな……
先日、旅先で「ラーメンでも食べようか」と言ったら「ダイエットでカロリー控えてるのにラーメンを無理強いした」と不機嫌になった。「嫌ならそう言えばいいのに」と返してももはや理屈は通じず、その後しばらく、お互い口を利かなかった
仕事で出張する度、お菓子とかチーズとかのお土産を買って帰る。ケンカになると「そんなもんで騙されないわよ!」と言われる……騙すって、ナンだよ?
ああ、誰かと暮らすって面倒くさい
でも、誰かとペアで居るって……楽だ!
まあ、おめでたい日だからグチめいた話は程々に――
Happy Birthday
皇太子さんと……我が家の古猫
しょせん観光客、なれど……熊本城復興に思う
これは清正公が築城を指揮した時の装いらしい
そこから見える、崩れた石垣
観光客が近寄って写真を撮っている。それは災難を他人事として「見物」している姿に見える
そして私もその一人……
行幸橋を渡って桜の馬場・城彩苑へ
歴史オタというほどではないが、私も年相応に歴史好きではある。でもここに来た目的は城彩苑湧々座の花童公演
被災した熊本城を見たかった訳ではない
湧々座の脇に復興城主(寄付金)の受付コーナーがある
それを横目に会館内へ
極彩色、虎退治の清正像
その近くに視聴覚コーナーがあった。『今、熊本城の中で何が起きているのか?』――被災状況を克明に撮影した映像が綴られていた
そのー枚――
これを見たとき、ああこれはダメだ、と思った。こんなもの、どうやって復元するのだ
展示会場を抜け出して、復興城主の申し込みコーナーに戻った
圧倒的な暴力に曝されたこの状況――復元なんて出来るんですか?
「20年掛かります」スタッフの男性が言った
20年……こつこつ、こつこつ……この地の人々は、石垣を組み直し暴力の傷痕を癒していくのだろう
申し込みをすると、震災前後の城の写真集を渡された
熊本城本丸御殿――
花童の名作動画が数多く残されている、憧れの舞台。もちろん閉鎖されている
ここで私が花童を観れるのは、いつのことになるのだろう
熊本の被災に対し、私はしょせん物見遊山の観光客、他人である
でも、来て、見る、ということは、寄り添うということの、小さな、ほんの小さな一つなのかもしれない
城彩苑で見つけた写真――
くまモンが城壁を直している
こつこつ、こつこつ……
水前寺公園 清水でタンタン♪
熊本の地名は元は「隈本」。清正公(せいしょうこう)さん――この地では加藤清正をこう呼ぶ――が、もっとカッコイイ地名がいいや、ということで「熊」の字になった
隈本の語源は幾つかあるが、一説では「曲がりくねった川のあるところ」であるらしい。つまり、くまもととは、水が豊かな土地、という意味である――
24日、予定は夕方の湧々座のみ。そのあと空港に走って羽田に戻る。まず城彩苑の駐車場を確保して……さてどうしよう
チンチンチンと電車に揺られて公園前へ。水路の脇を入園口へと辿る。その水路を覗き込んで驚いた。水がとてつもなく澄んでいる
悠然と泳ぐ鯉に翳りを与えるのは水紋のみ。下水の濁りを想像していたので呆気に取られる。前日の江津湖でも思ったけど、隈本はホントに水清き土地である
水前寺公園・成趣園の樹木が見えてくよく見ると くまモンもお出迎え(笑)
ああ、ここだよ!この風景をバックに花童が踊っていた一昨年のYouTube動画では粉雪の舞う中、くるみちゃんとあやのちゃんが優雅に扇を揺らして踊っていた。そして背景を白い鳥が何羽も横切った
園内の能楽堂。戸板の奥を覗き込むと、松の背景図が見えた
花童は下手の渡り廊下から登場し、この松の舞台で踊っていた。ああ、生で観たいなあ
池の水はあくまで清澄、鯉もろとも飲んでみたい
水前寺公園 清水でタンタン♪ 口ずさんでみる
突然、バサバサと羽音。水鳥が先を争うように水面すれすれを飛んでいく――対岸には鯉に餌を撒いているアベック。その餌を目指して特攻しているのだ
正面から見てみたいな――売店で餌(麸)を仕入れて水辺でばらまいてみると
来た!
来た来た~!
シュパパパ~
阿鼻叫喚
こちらはアオサギ、お大尽風情で乙に澄ましている。スマホを構えてソロリソロリ
逃げられた
公園内のお土産店
こんな本を見つけた
パラパラめくると『牛深ハイヤ』の由来が載っている。異郷で地元出版の本を探すのが好きなタチなので、買おうと店員さんを探すと――花童の絵はがきが貼ってあるのが眼に留まった。出てきたおばさん(ここの店主さん)に花童の話題を振ると、俄然話が盛り上がった――「写真あるからあげますよ」引き出しの中をごそごそして、見つかった写真――それは奇しくも、今はメンバーにいないあやのちゃん、東島姉妹の生写真だった。探してくれている間、ふと後ろの棚を振り向くと、カワイイ娘さんと目があったので……連れて帰った
おてもやん
「玄宅寺って、この近くですか?」妻が聞くと「すぐ裏ですよ」
行ってみた
玄宅寺では花童の月例舞踊会が開催されている。でも木曜日なのでなかなか観れそうにない
ああ~熊本に住んでいればなぁ
この日、何度目かのため息……
わくわくこわらべ ~ 熊本城・城彩苑にて
23日、益城町での奉納踊りの後、熊本城に直行――桜の馬場・城彩苑「湧々座《わくわくざ)」――ここで花童の定期公演が開催される
次の24日も続けて観たので、記憶も写真も2日分ゴッチャである(笑)
ここは歴史文化体験施設なので、演目も熊本所縁のものが選ばれている。3部構成で2部にはタレントさんによる歴史紹介コントが組み込まれている
まずは『肥後のタンタン節』――こわらべ達が鼓を持って登場する
小さな身体で鼓を構える姿が凛々しくて、私の大のお気に入りシーン
そしてくるみちゃん(月若さん)が扇を優雅に舞わせて登場する
こわらべは途中、鼓を提灯に――
そして扇に持ち替える
熊本の名所・名物を「タンタン」の音で軽快に紹介していく――ステージの導入部にぴったりの曲である
『おいでまっせ』――これは わらべ歌「あんたがたどこさ」の大人版のような曲。歌詞に先場山の狸が出てくる
きみかちゃんの
ポンポコたぬき
と――上手端で ゆうあちゃんがピース・サイン! え?そんな日本舞踊ある?
と驚いてたら……かなちゃんとれいなちゃんも両手ピース!?
歌詞を良く聞くと、これは洗場川の蝦(ザリガニ?)のポーズ。ピースじゃなくてハサミだった
『おてもやん』――言わずと知れた熊本の代表作。こわらべのYouTubeでも名作が多い
気の良い娘・おてもやんの恋の苦悩?――こわらベが演じると何とも微笑ましい
MCで花童のメンバーは7歳から20歳~と紹介され――そうか、くるみちゃん(月若さん)も二十歳になったのか、と感慨深かった
実物を見たのはこの日が初めてなんだけどね(汗)――YouTubeで6年分を追っているから初見な感じがしないのである
みことちゃん・あやかちゃんはここでもコンビの演目
そして月若さんとトリオで
こわらべの娘たちの日本舞踊への情熱は、くるみさんに憧れることから始まった
このか細い背中――この娘たちの眼には、さぞかし広く大きく見えていることだろう
『くまもと音頭』――これはタンタンとは逆にエンディング曲の定番
こわらべのラインダンス(?)――手に持つのは春は桜、秋は紅葉の枝
湧々座では、2部の最後にMC・熊八どんの指導が入る「くまもと音頭ではバックスクリーンに歌詞が映りますので、皆さん元気に歌いましょう」――YouTubeで耳慣れた曲、ホントに元気に歌ったら、熊八どんに褒められた(笑)
この熊八どん、明るいのはもちろんのこと、実にフレンドリーな人で、湧々座のことなど詳しく教えてくれて、玄関まで送ってくれた
2日目は大工の源さんになっていたこの日も終演後、玄関まで送ってくれたので「熊八どん、2日間お世話になりました」とお礼を言うと「今は源さんです」――二人してにっこり笑った
さて、熊八どんの采配で終演後に記念写真を撮ってもらった
実はこの写真にはファイミル夫妻も撮っていた――両サイドに座った姿は……まるで花童の脇の狛犬のようであった
もう一枚「おいでまっせ!」のポーズ
YouTubeでは首を横に傾げる仕草だったのが、今は両手を広げる、よりアクションの大きなボーズになっているらしい
これ、良く見ると
……少しはお愛想しなさいよ(笑)
でも私は――この表情に「清潔」を感じるのである。純真とか無垢とか情緒的な言葉よりも、私は清潔という言葉を使いたい
この娘がいつか私の前で笑ったら、それはこの娘が本心から寛いでいる時である
奉納、花童 ~ 益城町にて
舞踏とは多かれ少なかれ「神事」としての要素を含んでいる
日々の精進を積み重ねた花童の踊りには、時として「神が降りているのかな」と思わせることがある
12月23日、益城町にて天皇誕生日祝賀・震災復興祈願イベント
やっと叶った。初めて生で観る こわらべ……日本人形が踊っている
前回、東京の舞台で初めて あかねちゃん・ゆりあちゃんの娘踊りを観た、あまりのキレイさに驚いた。だから花童が大挙して眼前に現れたら、卒倒してしまうんじゃないか、と思った w
まずはくるみちゃん(月若さん)とゆりあちゃんが登場
月若さん、さすがに踊りの線が美しかった。全身が舞踊の鍛錬によって練り込まれている感じがする
そして こわらべ五花撰――かな・ゆうあ・れいな・きみか・すずが登場する
花童定番、熊本名物『おてもやん』五者五様の「おてもやん」――その個性を観るのも愉しい
花誠先生は敢えてこの娘たちの癖を「矯正」していないのではないかと思う。同じ振り付けを習っていながら、この娘たちの踊りは一人ひとりに個性がある。ラインダンスのように画一的に揃えてしまってはつまらない。「みんな違って、みんないい」というのは日本人の持つ美意識の特長かな、とも思う
みことちゃん・あやかちゃんの『因幡大黒舞』 この二人は遅れてきたヒロイン。今、懸命に花童の階段を駆け上がろうとしている。この衣装と踊りが意外と似合っていて、あやかちゃんが美少年(?)に見えた
『阿波踊り』――本場徳島で見たことがあるので、この手捌き・足捌きには違和感があった。でも実際にステージで観ると、目まぐるしく変化するフォーメーションが面白い
そして、この奴ダコポーズが愛らしい
阿波踊り、或いは秋田県の西馬音内(にしもない)盆踊りなど、日本の踊りには、顔を隠すコスチュームも多い表情を見せないことで神秘性を高める。これも日本人が好む舞踊の特長、霊異を感じさせる演出かな、と思う
でも、YouTubeで百時間余り花童を観ている私にとっては、一人ひとりの個性――体格はもとより、腰の低さ・背の屈め方で、誰が誰だか何となく見当が付く
舞踊とは神事――祈りである、今回の震災復興イベントから、その例を拾ってみた。
これはメドレー『肥後の通り名』にも入っている曲……YouTubeで調べてみたが曲名は分からなかった
石は吊って持つ吊って持つ石は~♪
天守櫓の石垣見上げ~♪
……この石垣を積み上げるような振り付け、今見ると、熊本城の武者返しの復活を思わせる
そしてラストのー曲は『365歩のマーチ』――言わずと知れた水前寺清子さんの名曲
熊本と言えば水前寺
――今の熊本にピッタリの、そして花童の娘たちにピッタリの 「CheerUp (元気づける)ソング」だなあ、と思う
あなたの付けた足跡にゃ~ ♪
キレイな花が咲くでしょう♪
腕を振って足を上げてワンツーワンツー♪
休まないで歩け~♪
江津湖から益城町へ~震災のかさぶた
とにかくもう、花童が観たくて観たくて、計画した九州旅行。22日は始発電車で羽田へ向かい、福岡空港からレンタカーで佐賀県へ――妻の積年の望みだった有田焼の本場を見るためだ。その夜の内に熊本市内へ……九州を少しばかり甘くみていた。遠かった(汗)
翌日、10時過ぎにホテルを出発。花童が出演する益城町でのイベントは14時から。その間、何の目的もない。
ルートの途中に江津湖があるので寄ってみた
ついでに、江津湖音頭も踊ってみた
ここは市民の憩いの公園になっていて――
スワンボートならぬ、くまモンボート
とにかく、水がきれいだった。上流から流れ込む他に、湖底からの湧き水も多いらしい。都会に近い公園で、水がこれ程澄んでいる場所は他に知らない
野鳥の楽園。野鳥観察の会が活動していた
この鳥(名前は)何ですか?とその内の一人に尋ねると
大きなのがアオサギ、小さいのがコサギですよ。ほら、足先が黄色いでしょ、それがシラサギとの違いです――説明しながら、幸せそうな笑顔w
ああ、天下太平である……寒かったけど
そして――これに気づく
盛り上がった遊歩道、芝生の亀裂
歪んだ堤、立ち入り禁止のテープ
ああ、震災があったんだ……
震災直後、銀座のくまもと館には行った。でも、私の日常に震災の影はない
益城町へと向かう、沿線に目立って更地が増えてくる
あ!ましきまち……ニュースで何度も耳にした激震地じゃないか
目的地に近づくにつれ、車窓の景色に違和感がつのる。街並みがどことなく、歪んでいるのである
折れた家屋
傾いた祠
崩れ落ちた壁、竹の骨材が露になっている
次々と現れる更地。地表に出来たかさぶたのようだ
見上げると、クレーンの鉄柱が斜めに何本もニョキリと立っていた
目的地、益城町文化会館。早く着いたので裏手に廻ってみた
ホールの裏手階段も崩れている
このホールで開催されたイベント『天皇誕生日奉祝式典 被災地ご訪問感謝の集い』
受付で記名しているとテレビ局のレポーターに声を掛けられた
「どちらからおいでですか?」「このような慶賀の式典に興味はおありですか?」
「いえ、私は花童を観に来ただけで……他には何も(考えてなかったです)」
レポーターはそのままお辞儀して去っていった
天皇誕生日と震災復興を兼ねたイベント。舞台上に居並ぶ来賓各位、そして祝辞
その中で、地元益城町の女性が舞台袖から現われ、スピーチの壇上に立った
――震災後、先行きに希望のない避難所生活を送る中、天皇陛下が慰問に来られると聞いた……当日、空を見上げていると、やがて小さな点が現れた。天皇陛下が乗ったヘリコプターだ。その点が次第に大きくなってくる。それを見たとき……ああ、私はもう大丈夫だ、と思った――
災害とは、限られた一部の人にのみもたらされる。被災した人はたまたま運が悪かった人、「災難」の人である。熊本県内だけで見ても、被災者の人口比は僅かだろう。遠く離れた地に住んでいれば現実味は薄い
災難に遭った一部の不運な人々に対し、社会がどれだけ同情の想いを寄せているか――それがコミュニティとしての豊かさ、民度の高さのバロメーターである
天皇は国民の幸せを真摯に祈り続けている人である――不運な人に思いを寄せ、助け合える社会を理想とするのであれば、天皇の姿は、まさに豊かであるべき日本の「象徴」である
これは町内の飲食店に貼ってある標語
こんな標語があること自体、この地に来なければ分からない
地表に散在する空地、これを「震災のかさぶた」と名付けてみた――「かさぶた」とは、やがて肉が盛り上がり、回復していく傷のことである
そして、式典の第二部・奉納演芸では、私達夫婦をここまで導いてきたもの――花童登場!となるのだが、それは次のブログにて