トロット師匠と無気力姐さん
9月に入っても、けっこう東京各地で盆踊りを開催している
9月なのに盆?――正式には「奉納踊り」という
でも、例によって日本人はテキトーだから、輪になって踊れば「盆踊り」
9月10日、早稲田の穴八幡神社盆踊り
そこは東京の西側――自称・葛飾柴又の住人、ファイミルにはチト遠い
でもネットではなかなかに評判が良い「同じ曲を2回ずつ流すから初心者でも覚えやすいですよ」
定番の東京音頭、炭坑節に八木節
ドンパン節、花笠音頭……曲は知ってる。どんな振り付けだろ
ハワイ音頭……なんだそれは?
盆踊りは本来、神事(仏事)……ライトアップされた境内には、賑やかさと同時に一種の荘厳さがある
八幡様は源氏の神様。参道の階段には勇ましい流鏑馬(やぶさめ)の像がある
石段を下れば、そこにはハイソな?雑然とした?東京、都会の喧騒
樹木に遮られたこの高台の一角は別世界のようだ
そしてそんな神域を何となく有難く感じて残している処に、日本人の奥床しい宗教観(信心の心)がある
開始時刻前、リハーサルの音楽がスピーカーから流れ、太鼓の練習が始まる
早く始まんないかな~、と身体を揺すってじりじりする人がちらほら
そして
この日先陣を切ったのは、ショートカット、浴衣の襟元が粋な昔の娘さん(地元のおあ姐さん)。それ続け!とばかりに後ろに連なるファイミル夫妻、他数名
そして、やがてー重の輪が出来ていく
そしてー重が二重に
やがては腕を広げる隙間もないほどの盛況ぶり!……その写真はない、踊りに夢中で撮るの忘れた
思い思いの浴衣を粋に着こなした地元の人もいれば、洋装でたどたどしく踊りをマネる飛び入りもいっぱい
そんな中、ヤグラで踊る年配のお師匠さんが見事だった。まさにお手本
みんなヤグラの方を向いている――これは花笠音頭の糸巻きのポーズだね
このお師匠さん、白髪を薄茶のメッシュに染め、トンボ柄の紺の浴衣はこれが普段着、とばかりにこなれている
その足さばきの軽快さはまるで馬のトロット(軽走)を見るようだ。誰よりも運動量の多い踊りをこなしながら、ヤグラ下の飛び入りさん達に「腕をかざして、2歩下がって、はいがんばって」とアドバイスしている
その八面六臂の活躍ぶり!
そしてこのヤグラの上には、もう体型も崩れ腰も曲がりかけた年配の女性もいた。ところがこの人の踊りがまた、見事にこなれていて美しいのである
なんだか、盆踊り≒日本舞踊の真髄を垣間見たようで、無性に愉しくなった
というところで終わらないのがこの日のネタ
第二部『無気力姐さん編』
私達の眼の前に、揃いの浴衣を着た二人のお姐さんがいた。二人とも粋な姐さんで、例えるなら一昔前の島かおりさんと真屋順子さん
この姐さん達の踊りが、驚くほど小さい。腕を後ろに伸ばすはずの振り付けでも、その手は胸元に小さく納まっている。足運びはまるでリハビリのような歩幅、圧倒的な運動量の少なさ
これが一人なら個性だけれど、二人おんなじ動き、そして完成度が高い――何かの流派なのだろうか
パッと見、とても楽しそうには見えない。でも二人飽かずに黙々と踊っている
なんだこりゃ?と私が思ったハワイ音頭のフラダンス風の振り付けも達者に(かつコンパクトに)こなしている
私に言わせれば、盆踊りとは単調な振り付けを延々と続けることで、一種のトランス状態となる「神事」
この二人の「無気力姐さん」の、精確に刻み続けるような踊りを見ていると、これって盆踊りの原点かもね、とも思えてくる
やがて踊りが最高潮となる頃には、輪も会場いっぱいとなって、もはや腕を伸ばすスペースもない
私の踊りも次第に小さくなり、気がつくと姐さん達と同じ団地サイズの踊りになっていた
そうか、あの姐さん達、戦後の都会人――根っからの「団地っ子」なんだ!?
という発見の、真偽の程は分からない……
因みに、YouTubeで盆踊りを見ていたら、少し前の日比谷公園盆踊りの映像に、無気力姐さんが映っていた。踊る後ろ姿ですぐ分かった
日比谷まで出掛けるとは――無気力姐さん、決して無気力ではなかった(笑)
おまけ
7月にテレビが壊れて買い換えたら、アプリ機能が付いていた。テレビの画面でYouTubeが見れるというのはなかなか快適で、今やTV番組よりもYouTubeで盆踊り動画を見る方が多くなった
今年の映像もポツポツ公開されている
あっ、これ行ったよねw、と見ていたら……
ファイミル夫妻、とうとうYouTubeデビューを果たしていました
画面を通して見るおのが姿に……とうとうた~らりアブラ汗
若さん いとさん ~ 町会の花
前回、メインの柴又盆踊りを書いたので、あとは拾遺集
特に印象に残った盆踊りを五月雨的に――
葛飾区の、とある町内会盆踊り大会
自治会の運営が熱心で夜店も手作り
高校生が大勢ボランティアで動員されていた
大勢ということは、当然いろんなヤツがいるということで、マメに働いておじさんおばさんに可愛がられている子もいれば、忙しく接客するおばさんの脇でペチャペチャおしゃべりして、ご褒美のお菓子だけ貰ってぶらぶら帰っていく不届き者もいる
人生いろいろだけど、後片付けまで仕事を見つけて働いて、笑顔で去っていく子の方がどうみても幸せそうに見える
というのは、公園の隅で一休みしている時の寸景
この会場
しょっぱなに「恋するフォーチュンクッキー」を何度もかけて――盆踊りって何でもアリだね――子ども達の参加を図るんだけど、やっぱり踊るのはおばさん達ばかり
でも、ちょっと違っているのが、浴衣姿の若い男性が多かったこと
その中に高良健吾さんばりの二枚目がいた。浴衣をしゅっと着こなして、和服の所作も見事に決まっている
江戸流で言うところの「様子がいい」お兄さん、ってのはこんなヒトを指すのだろうね
そして踊る姿――その腕さばき、足さばきが、これまた見事に「様子がいい」のである
この会場でのお師匠さんはこの人だな、と即座に決まった
想像するに、この町内会の辺りに舞踊教室があって、その名取り、若師匠なのではないか?
私達夫婦は以降、この粋な兄さんを「若さん」と呼んだ
一方、服装こそジーンズだが、これまた粋なお姉さんが一人
この人も踊りが抜群に上手かった。そのスラリとした容姿と柔らかな身のこなしは、スポーツと言うよりも舞踏で鍛えたのではないかと思われる
正に「小股の切れ上がったいい女」とは、こんなヒトを言うのだろう
私達はこのヒトを大阪流に「いとさん(お嬢さん)」と呼んだ
この二人、知り合いである。でも馴れ馴れしくはない
想像するに(こればっかり)この二人、踊りの同門でよく見掛けるが、親しいところまではいってない
様子のいい二人が差し向かいで、わずかな言葉を交わしている、その立ち姿!
私が荷風さんだったら「新・すみだ川」を書いちゃうね!
さて、この会場の演目、最後に都はるみさんの「好きになった人」をかけるのが恒例らしい
この曲のダンス、TV番組「志村けんのだいじょうぶだあ」で見たことある。二人一組で手の平を合わせて踊る――マジメな顔で踊れば踊るほど、見ていて可笑しさが込み上げる。そんなネタだったな
これを生で見れるんだ、と何だかウキウキ
その時だ
若さんが いとさんを、一緒に踊りましょう、と誘う
そして手を携えて輪の中に……そのはにかんだ表情!
ところがこの曲の振り付け、オクラホマミキサーのように、ペアがどんどん左右にずれていく――手の平を合わせる逢瀬もホンのひと時、左右に別れて、次々現れるおばさん達とペアで踊っていく
離れる瞬間の、あっ!と驚く表情、その後の苦笑い
まあ、おばさん達は若さんと踊れて楽しかっただろね
この粋な二人、ずっと一緒に踊らせてあげたかったなあ……としみじみ
ファイミルさん、気分はちょっと荷風さん
因みにファイミル夫妻、振り付けが分からないので、輪から外れて二人で練習していた
「来年はこの曲踊りたいね」
「でも離れ離れになっちゃうよ」
好きになったヒト~♪
柴又のお師匠さん~東京市・叙景
この夏、私が訪ね歩いた盆踊り
それは「東京市(~1943年)」発見の始まりだった
盆踊りは地元の祭典、名士のご挨拶もある中で
「東京でも盆踊りを開催している自治体はずいぶん減りました。西の方ではほとんどありません
ここ葛飾区で続いているのは皆さまのご尽力の賜物云々……」
実際、どこの盆踊りでも、踊っているのは揃いの浴衣をはじめとする年長者ばかり
子ども達は?
屋台に釣られて会場には来るが踊りの輪には加わらない
アナウンスでお菓子をエサに誘っても、ドラえもん音頭を流してみても、かき氷を持ってタムロするだけだ
……盆踊りはやがて滅びる
そんな中、私がもっとも愛した盆踊りは――
葛飾柴又、帝釈天での盆踊り大会
この会場では演目は4つのみ。すべて地元ゆかりの曲だ
東京音頭、大東京音頭、葛飾音頭、そして『寅さん音頭』
あの柴又帝釈天で寅さんを踊るんだぜ!
泣けてくるねえ……
この会場の素晴らしさは、踊り手の年齢層の厚さ
カラフルな甚平を着た小さな子どもから小・中・高生、彼氏(?)と二こと三こと会話して踊りに加わるお姉さん
若いお母さんは赤ちゃんを抱っこしたまま、身体を揺すって踊っている
中・高年の夫婦者が並んで黙々と踊っている
山村紅葉さん(似のおばさん)が陽気にシナを作っている
ハッピに白足袋のおじいさんがもはや踊りとも言えない足取りでうろうろ。日の丸の鉢巻きはいいとして、そこに書いてある文字……「神風」ってナンだよ!?
盆踊りは、まず曲を流しての太鼓の練習から始まる
遠巻きに眺める人々
やがて粋なお姐さんが先陣を切る
そして輪が繋がり
二重、三重となっていく
踊りたくて堪らないファイミル夫妻、この輪が始まるのをうずうずしながら待っている
まだ踊りも覚えられない小さな子どもが輪の中をちょろちょろ駆け回る
十代の娘さんが気配を感じて振り返り、子どもを見下ろして「あら?」と微笑む
スポーツ少年団の世話役なのだろう。ポニーテールにジーンズのお姉さんは、まとわりつく男の子達を追い払い「ええいあっちいけ!あたしゃ踊りたいんだ!」と一心不乱に踊っている
笑ったのはこれ
飛び入り参加だろう、たどたどしい踊りのおばさんの後ろに、小さな子が3人くっついて踊っている
それはまるで、よちよち歩くアヒルの親子のようであったw
柴又・帝釈天の盆踊りには、「東京市」の時代から続く懐かしい情緒がある
かつての娘さんが今は粋なお姐さんになって、娘の浴衣の乱れを直し、前後に並んで踊っている
この土地の人々には、元来、日本舞踊の素養があるのだろう
浴衣に着こなし感があって所作が美しい
そして踊りはしなやかで指先まで美しい
その中で、私が「柴又のお師匠さん」と定めたヒトは――
踊りの体幹がしっかりしていて姿勢が良く、肩で踊る
無闇にアヤを付けず、むしろ投げやりに手足を揮う
これは、私が勝手に「江戸芸」の本質と考えている魅力であり、二三吉姐さんの端唄を聴いて思ったことだ
二三吉姐さんの唄い方は一見ぶっきらぼうで蓮っ葉に聴こえる。そこには凛として媚びない心意気がある
柴又のお師匠さんの踊りもまた、媚びがなく伸びやかだ
そして、お師匠さんの踊りには日本古来の身のこなしがある
右手・左足、左手・右足、と上半身・下半身を捻って歩くのは西洋式の運動――日本人は古来、右手足、左手足を揃えて前進する。その名残が相撲取りの突っ張りの所作である
因みに、忍者も右手足・左手足を同時に出す走り方をしていたらしい――これを「ナンバ走り」と言う
だから盆踊りにもそういう振り付け――右手と右足を同時に出す――が多い
お師匠さんは肩を使って腕を前に伸ばすから、この所作が大きくてダイナミックに見える
その踊りに見とれていると「変に思われるよ」と妻に注意された――
これがアイドルだったら、面と向かっていくらでも褒められるのに……今思うと、芸能人って「プロの褒められ屋」だったんだなあ
なお、私の柴又のお師匠さんは、歳の頃なら13~4
少しクセ毛の髪をひっつめにした、黒眼勝ちで眉の凛々しい娘さんである
この柴又の盆踊りに触れていると、荷風さんの愛した「東京市」の風俗とはこれなのか――と思えてくる
世代を越えて繋がっていく市井の人々の営み
ここで踊っている娘さん達は、やがてお姉さんのように結婚し、お母さんのようなお母さんになり、お祖母さんのようなお祖母さんになる
そして、慎ましい幸せの中、今年も帝釈天へ盆踊りにやってくる――
親兄弟と一緒に、友達と一緒に、恋人と一緒に、夫と赤ちゃんを連れて、そして大きくなった子どもと一緒に
そして次の子ども達も、踊りの輪の中を駆け回ることだろう
そうして、東京市の情緒は引き継がれていく――
目に留まった人には、この変な夫婦、最近柴又に越してきた新参者かと思っただろう
実は、江戸川を渡って隣県から通っていた
関東に住んで8年――この夏、私はついに、理想の「東京」に出会えたのである
隅田の夜~こととい姐さん
月は隅田の屋形船~♪
と歌われているくらいだから、ここで東京音頭を演らないはずがない
隅田川盆踊り大会――墨田区役所うるおい広場、8月20日のことだ
と書いてみて、ふと気づいた
「隅田」と「墨田」どっちがホント?
調べたら、元々の地名は隅田らしい。でも区の名前を決める時、「隅」の字が当用漢字になくて使えなかった
かくて、墨田区立隅田小学校、なんて紛らわしいことになった
しょうがないなあ、と思いつつ、こんな煩わしさもまた人の世の面白さかな、とも思う
人間の歴史なんて、ポ力と後悔の積み重ねである
それはさておき、日本に数限りなくある橋の名前、私が断トツで好きなのは「言問(こととい)橋」
恋問橋って橋もあるけど、これでは直球すぎる
言を問う……コトって何?誰に尋ねたの?
――調べると、原点は業平の歌らしい
名にし負わば いざ言問わむ 都鳥……
なるほど、風情があるはずだよ
さて、この言問、平成・ゆるキャラの時代に……
猫になった
これが言問姐さん
着ぐるみだからデカイ――なんて言ったら
「着ぐるみじゃござんせん、言問は言問でござんす」って鉄火に叱られたりしてね(笑)
姐さんを歌った「言問音頭」ってのがあるんだけど
姐さんがヤグラの上で踊るんだ
その上手いこと!
盆踊りには手本(お師匠さん)が必要、と前回の記事にも書いたけど、この夜一番のお師匠さんはこの姐さんだったね
両の二の腕を前に突き出し、手首を曲げる猫ポーズ、ステップを踏む足さばきの達者なこと
しかも終始笑顔
まあ、着ぐるみだからね
「着ぐるみじゃござんせん、姐さんは姐さんでござんす」
この地区では太鼓が盛んらしく、打ち手の子供達がいっぱい
隅田川を見下ろせる、広い敷地、交通の便もいいから観光客に夕涼みのアベックなど、見物や飛び入りもいっぱい、輪も厚みがある
ー曲を2回づつ掛けるから、飛び入りも踊りを覚えやすい
ここでの演目は東京音頭・大東京音頭・炭鉱節に八木節……
そして何処にでもあるんだね、ご当地ソングは隅田川音頭
その他、知らない曲もある中で、えっ?と思ったのは――オバQ音頭
もう50年近く前の曲だぜ
私は保育園のお遊戯会で踊っていた、もう振り付けなんて覚えていない
その曲をかくも長く、ここでは踊り続けていたんだ!
キュキュキュのキュ、キュキュキュのキュ♪
おじさんおばさん、浴衣の娘さんがみんなで神妙な顔して踊っている
空は晴れたしホイ オバQ
悩みはないしホイ オバQ
盆踊りの不思議な点は、踊り手のほとんどに笑顔がないこと
みんな好きで輪に加わっているくせに、無表情で黙々と踊っている
私はこう解釈している――盆踊りは本来仏事、宗教的祭礼だから神妙な顔で踊る。そして単調な振り付けを延々と繰り返すことで、一種のトランス状態のような愉悦を呼び起こす
大人の一群が神妙な顔で同じ動作を繰り返す――
バケラッターのくーるくる キュウ~♪
両手を横にブラブラさせて、くるりと一回転する
目の前で紺の浴衣、ひっつめの髪、メガネをかけた真面目の権化みたいな娘さんが一心不乱にオバQを踊っている
盆踊りは神事(神仏への祀り事)である!
なんだか、とても……有難い!
日比谷の空~丸の内音頭を踊る
東京音頭の原型は「丸の内音頭」だったらしい
その歌詞に東京の他の地域の風俗を足し込んで東京全部の歌になった
そして東京音頭をレコーディングしたのは勝太郎姐さんだが、丸の内音頭は二三吉姐さんだったらしい
藤本二三吉、江戸芸の巨星にして……私の端唄のお師匠さん(勝手に言ってるw)
ウィキペディアで調べたら、丸の内音頭の初回の盆踊り大会は有料で、百貨店で浴衣を買った人しか参加出来なかった――と永井荷風が書いているらしい
荷風さん――過去に小説何編かと佐藤春男が書いた『永井荷風伝』を読んだ。あんまり好きになれなかった。なんだかエラそうなオヤジだなあ、と思った
今、東京に馴染んでみると、荷風さんが活写する「東京市(~1943年までの東京)」の風俗が実に良くって、また読み始めている
日比谷の盆踊りが凄いらしいよ、とネットを調べた妻が言うので行ってみた
8月26日のことだ
日比谷公園――私はこの公園が大好きで、霞ヶ関方面に用事があった時など、寸暇があると散策する
林学博士にして近代公園の父、本多静六が設計した、日本で最初の市民のための洋風広場
本多博士は現在の日比谷交差点にあったイチョウの大木を「自分の首を賭けても移植を成功させてみせる」とし、見事日比谷公園内に活着させた――というのは知る人ぞ知るエピソード
昨年冬の、鍋フェスの時撮った
隔絶された都会の一角なのに、地域猫≒公園猫が住みついている
こいつとか
こいつ
さて、盆踊り――噴水を囲んだ巨大な輪
ライトアップも幻想的
何しろ東京ど真ん中、揃いの浴衣のオア姐さんもいたけど、私服の飛び入りも多い
勤め帰りのOLとかサラリーマンとか(私もその一人)
踊りの輪に加わる際、大切なのはお手本(≒お師匠さん)探し
何しろまだ振り付けを覚えていない
上手な人をみながら振りコピしなきゃならない
周りがみんな下手な人だったら目も当てられない
手足はバラバラ、のそのそと歩くだけになってしまう
上手な人、といってもアヤのつきすぎている人だと、踊りはキレイでも参考にならない。基本形が分からない
男性はあまりアヤをつけないから、振り付けのお手本としては参考にしやすい
揃いの浴衣を着ている「昔の娘さん」の中には、踊りが上手な人はほとんどいない。老後の趣味で日本舞踊のサークルに入りましたという感じ
その中に、師範代?というような踊りのしっかりしたお姐さんが混じっている
そんなヒトは浴衣の着こなしも粋である
この日、私が手本とした中で、一番見やすかったのはそんな小粋なお姐さんだった
炭鉱節
振り付けは炭鉱の重労働をなぞっている――スコップで石炭を掘り、モッコを担ぎ、トロッコを押す
これを浴衣のアダなお姐さんが踊るところに、得も言われぬ倒錯感、色気が生まれる
一方、八木節は男踊りだね
曲調が武骨で振り付けもストイックだ
何やら、ゴジラのテーマソングのように、おどろしく迫ってくる感じがある
そしてもうー曲、この日比谷盆踊りで流れるご当地ソングは「銀座カンカン娘」
この曲、昔から好きで良く聞いていた
これが盆踊りソングになるとは思いもしなかった
でも振り付けがポップで覚えづらい
踊るのを諦めて輪を抜け出し、お師匠さんを見ていると
「指を差されてカンカン娘~♪」でチョイチョイと指差しポーズをする
粋なお姐さんがやると見事にきまる
カンカン娘は戦後まもなくの、洋装で闊歩する蓮っ葉娘の威勢のいい歌
それを小粋な姐さんが浴衣で踊る日本舞踊にしてしまう
日本人ってホント、適当で暢気な民族なのである
そんな訳で、東京市・盆踊りの原点、日比谷のー夜、楽しゅうござんした
因みに、この会場では日本手拭いを売っていた
これをお揃いで首に掛けると、踊り手になんとなく一体感が生まれる
手拭いには丸之内音頭の歌詞が書いてある
粋だね、と眺めていたら――
こらこら!
我が家の地域猫w
盆踊りのはじまり
きっかけは川口散歩からの帰り道だった
万歩計で1万8千歩……惜しいねえ、どうせなら2万歩に乗せたいよねえ
帰りの車内、カーナビを眺めていて
「あ、西新井大師、ここ行こう。2千歩くらいは稼げるぜ」
お寺の壁が見える駐車場に車を止めて、どっから入るんだろうとウロウロ、それが午後6時。微かに聞こえる祭ばやし、どことなく空気がザワついている
あれ!お参りどころじゃないよ
盆踊りやってる!
後で分かったけど、これは15日の本番に向けての練習会だった
お年寄りの一団が輪になって踊っている
太鼓役は子ども達、全身を躍動させて力いっぱい 叩いている
一瞬、子どもに労働させて娯楽に耽る大人たち――という構図を思い浮かべたのは……私の性格の悪さだろうw
初めて「東京音頭」の踊りを見た
昭和初期の歌謡曲は好きなので、勝太郎姐さんが歌うオリジナルはずっと聞いていた
「東京にはふるさとの音頭がない」という東京市民の嘆きを受けて、昭和初期に作られた名曲
爆発的にヒットして、この曲が流れると交通整理のお巡りさんまで踊りだして大騒ぎになった、と聞いたことがある
他には「炭鉱節」――これも踊りを見るのは初めて
「チャンチキおけさ」――若い頃スナックのカラオケで歌ったなあ
「スカイツリー音頭」は聞くのも初めて。日本人って何でも音頭にしちゃうんだねえ
腕を高く上げてツリーに見立てる振り付けが笑ってしまう
こうなるとファイミル夫妻、じっとしてはいられない
輪の外で懸命に振り付けをなぞっていたけど……
ええい!入っちまえ
踊るファイミル
やっぱり、盆踊りはたまらんな~、と踊りつつ
――今更ながら何故?と思った
東京近郊に暮らして8年にもなるのに、何故一度も盆踊りに行かなかったのだろう
関西では河内音頭、盛岡ではさんさ踊りにすっかり夢中になっていたのに
きっと東京が……嫌いだったんだろうな
東京=都会、というイメージに捕らわれ過ぎていた
東京って、実は厖大な「下町」の集合体なんだ
休憩時間に散策
参道のタ景、もう店じまい
お大師さま=空海さん
当然銅像もある
八十八ヶ所大師堂
四国八十八ヶ所の石が埋まっている。ここをー周するだけで巡礼のご利益が?
おおらかな宗教観、日本人ってホント、いい加減だねw
日々ならぬ喧騒にびっくり、身を潜める地域猫
そして夜は更けゆく――
飽かずに踊る都民たち
そして
飽かずに踊る道産子ファイミル
かくて時間いっぱい踊り回ったファイミル夫妻、もう盆踊り依存症
その後、精力的に(?)盆踊り会場を訪ね歩いた……いや、訪ね踊った
そしてこの夏、とびきりの「東京」
昭和初期の面影を色濃く残す、「愛しき東京」と出会うこととなった
その話は、また後日――
キューポラ探して ~ 川口散策
映画『キューポラのある街』を初めて観たのはいつだったろう
リアルタイムではない、T Vで観た
更に「キューポラのある街」とは川口市のことであると記憶に刻まれたのは何故だったのか?
関東の地名・位置関係など、北海道育ちの私には全く無縁――
なのに、車で高速を走らせ「川口」という地名を見るたびに、決まって「あ、キューポラの街だ…」と思ってしまう
この映画、実はストーリーも覚えていない
ただ、貧しさに喘ぐヒロインたち市井の人々、
「地上の楽園」こと北朝鮮に帰還する親友との別れ――が漠然と記憶にある
私は北海道の田舎で育ち、贅沢こそしていないが、慎ましい両親の許、衣食住の不安のない少年時代を過ごした
私は貧困(物質的な貧しさ)を知らない……
学生時代1ヶ月間、肉を食わずに米と味噌の暮らしをしたり、布団を出さずに新聞紙にくるまって寝てみたりしたのは、そんな焦燥感の表れだったのかな、と思う
『キューポラのある街』が私の記憶に刻まれたのは、この映画が貧困と挫折、そして心の再生をモノクロの映像に力強く刻んだ映画だったから、かも知れない
さて、ファイミル夫妻の「落下傘散歩」――何処かにトンと降り立って歩き出す――草加の次に選んだのは川口だった
キューポラって、漠然とエ場の煙突だと思っていた。煙突のことを何処かの外国語でそう呼ぶんだろうな――メリーポピンズの「チムニー」みたいに
でも違った、鋳物を焼くための高温の炉のことだった
↓これね。とあるマンションの中庭に飾られていた
では、鋳物って……何だっけ?
博物館で見て、あっ、これか!と思った
石炭ストーブだよ。地下水を汲むポンプとかね
この日、まず降りたったのは川口神社
その脇に金山神社、鋳物師の神様だ
鋳物の防火桶、良い存在感だなあ
川口駅へ向かう
鋳物工場で働く人の像
そして
やっぱりキューポラ飾ってあった
さて、観光マップを入手して、どこに行こうか?
例によってノープラン
何処って、やっぱりキューポラ見たい
あと、荒川の土手に行きたい――映画で純(吉永小百合さん)が走った場所だ
途中、金物屋で猫を売ってた?
野良ちゃん発見
近づいたら
なんだよ!とメンチ切られた
さて、マップでキューポラのある場所、に辿り着いたけど、どれのことだか分からない
妻がスマホを検索する
屋根から出てる大きな突起がキューポラだよ
屋根から出てたら煙突じゃないか
だって、ほら!とスマホの画像を突き出す
ふーん、それなら
これとか
これがキューポラだ
パチンコ屋の屋根にもキューポラ
鋳物工場を改装したのだろう
荒川の土手にたどり着く
『キューポラのある街』は子役として成功を納めた吉永小百合さんが、若手女優としての変貌を遂げた記念碑的作品だ
そして浦山監督のデビュー作だった
浦山監督はその後、女優を育てる名手と言われたが、女優いびりも凄かった
撮影当時、小百合さんは盲腸の手術直後。まだ傷口が引きつっていた
監督はその小百合さんに土手での全力疾走を命じた。何度も何度も走らせた
でも小百合さんは泣き言ひとつ言わずに走りきった
そして小百合さんは「本物の女優」となった
その土手――
ファイミルも走ってみた!
因みにこれは、ヒロイン・純が通っていたという中学校
きれいな学校だなあ……でも時代の面影はない
旧芝川、門樋橋から右岸を眺める
見事に町工場が並んでいる
そしてキューポラ
旧芝川はこってりと緑色に澱んでいた
それが鏡となって、川面に景色が映っていた
休憩時間なのだろう、作業服の男性が川面を眺めて煙草を吹かしている
町工場の風景――
これは散歩の途中で見た看板
ここは近代日本のふるさと――でも、私の原風景ではない
私は農村で育った
私の両親は米農家の出身である
母は出面(バイト)で田植え・稲刈りをやっていた。勤め人の父も休みの日には手伝だった
兄は小学校高学年で鎌の持ち方を教わった
ざっざっざっ……
稲を刈る音が軽快に響いていた
幼い私は畦道に座って、仕事が終わるのを待っていた
やがて陽は翳り、5時の音楽が鳴る――
(夕焼け小焼けで日が暮れて)
それが私が見た風景、私が聞いた音、私の嗅いだ匂い
この日の川口散歩
なんとなく馴染めない工場の街
それは逆に、自分が「田舎」の子であることを再認識させてくれた散策でした